「ターリク・ミハイル・アズィーズ」の版間の差分

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'''ターリク・アズィーズ''',('''Tāriq Azīz''', [[アラビア語 ]]: ''طارق عزيز'', [[シリア語]]:ܜܪ ܥܙܝܙ)は[[イラク]]の元[[政治家]]で、元[[副首相]]、元[[外相]]、元[[ジャーナリスト]]。日本語の報道では、「アジズ元副首相」とされることが多い。本名は、'''ミハイル・ユハンナ'''(Mikhail Yuhanna)。
 
イラクの閣僚には珍しく[[アッシリア人]]、[[東方典礼カトリック教会|カルデア教会]]の[[カトリック]]教徒で、[[イラク戦争]]開戦前には[[教皇|ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨアンネス・パウルス2世]]との会談などを通じて戦争阻止を国際世論に訴えるなど旧政権のスポークスマン役を勤めた。
 
== 生い立ち ==
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== イラク戦争~政権崩壊 ==
2003年2月、アズィーズは[[バチヴァティカン]]を訪れ[[ヨハネ・パウロ2世]]と会談。会談後の記者会見で[[イラク戦争]]開戦阻止とイラク攻撃が世界のムスリムに対して「[[十字軍]]の再来」と受け取るだろうと警告した。開戦前夜の3月19日にアズィーズが[[クルディスタン地域]]に逃亡を図るも、失敗して射殺されたという報道が流れたが、すぐにバグダードで記者会見し、報道を否定した。開戦中も時折、報道陣に姿を見せたがバグダード陥落後は姿を消した。アズィーズの邸宅は政権崩壊後、暴徒に荒らされ、家財道具等が略奪された。4月24日、アズィーズは米軍に投降した。投降前、イギリスの「スカイ・テレビ」とのインタビューで『自分はアメリカ本国の刑務所に入って死ぬかもしれない』と不安を語っていた。2004年6月30日、アズィーズの身柄が米軍からイラク暫定政府に移ったことを説明するために面会したサーリム・チャラビー・イラク特別法廷長官によると、面会の間アズィーズは終始無言で一言も喋らなかったという。
 
== 身柄拘束後 ==