「オパヴァのマルティン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Oddmake (会話 | 投稿記録)
m この人物の外国語表記は、どの言語が適切か判断しづらい。各論を併記しているので最初の項目名のとこには入れない方がよい。
1行目:
'''ポーランドのマルティン'''としても知られる[[オパヴァのマルティン]]('''Martin von Troppau''')は[[13世紀]]の重要な[[ドミニコ会]]士の年代記作家である。
 
[[チェコ]]の[[シレジア]]の町[[オパヴァ]]で生まれ(生年は不明)て、[[ローマ]]へ帰還する途中の[[ボローニャ]]で[[1278年]]6月以降に死んだと信じられている。彼は[[プラハ]]で学び[[ポーランド]]で活動した。そのため彼は[[ラテン語]]では ''Martinus Oppaviensis'' とか ''Martinus Polonus'' という名で知られていることもある。[[ドイツ語]]では ''Martin von Troppau''、[[チェコ語]]では ''Martin z Opavy'' と呼ばれるようである。