削除された内容 追加された内容
37行目:
その後も体重が増えてきた[[2006年]](平成18年)9月場所から翌11月場所にかけて10連勝し、[[2007年]](平成19年)1月場所は十両目前の幕下上位に番付を上げてきたが、幕下上位の壁に跳ね返された。その後しばらく幕下上位を彷徨っていたが、2008年(平成20年)3月場所では見事幕下優勝を飾り、3月26日の番付編成会議では、5月場所の新十両昇進が決定、芝田山部屋初の[[関取]]となった。しかし、5月場所では5勝10敗と大きく負け越して幕下に陥落。1場所での十両復帰をかけた翌7月場所でも、3勝4敗と負け越し、これ以降勝ち越しは2場所のみと低迷した。
 
2010年5月場所後、一身上の都合により同年6月7日をもって現役を引退したことが芝田山部屋公式ホームページの掲示板において発表された。この時点では引退届は提出されておらず、7月場所後に日本相撲協会から正式に引退が発表された。これについては、師匠が断髪式を行わずに師匠自身で大勇武の髷を切ったと一部の雑誌で伝えているが、真相は一切不明である。9月6日、これに関して当人から、引退は親方から強制されたものであるとして損害賠償を求める訴訟と暴行罪での被害届が提出されている事が明らかになった。親方はこれにより29日書類送検されている
 
なお祖父は[[ブフ|モンゴル相撲]]で7度優勝したアヴァルガ(横綱)であったが、大勇武はモンゴル相撲の経験はない。