「クイーン・エリザベス級戦艦」の版間の差分

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! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| クイーン・エリザベス級戦艦
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| colspan="2" align=center|[[ImageFile:HMSQueen BarhamElizabeth 1913 Dardanelles.jpg|300px|写真は竣工当時のクイーン・エリザベス]]
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! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 艦級概観
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! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 性能諸元
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| style="white-space:nowrap;" |[[排水量]]||常備:27,500トン<br />1944年:基準<br />常備:32,930トン、満載:38,450トン
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|全長||196.8m
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|水線長:195||195.3m
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|全幅||27.6m、31.7m(1944年)
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|吃水||8.8m<br />1944年:9.5m(基準時)、10.5m(満載時)
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|機関||竣工時:<br /> バブコック&ウィルコックス製重油石炭混焼缶24基<br /> (ウォースパイトはアドミラリティ製重油石炭混焼缶24基)<br /> パーソンズ式オールギヤードタービン4基4軸推進<br /> 75,000hp<br /> 石炭100トン/重油650トン<br />1944年:<br /> アドミラリティ製重油専焼三胴缶8基<br /> パーソンズ式オールギヤードタービン4基4軸推進<br /> 80,000hp<br /> 重油3,570トン
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|最大速力||25[[ノット]]<br />1944年:23ノット
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== 経緯 ==
主砲に13.5インチ(34.3cm)砲を搭載した[[超弩級戦艦]]「[[オライオン級戦艦|オライオン級]]」でドイツ海軍に差をつけたイギリス海軍が次なる布石として、既存の超弩級戦艦火力で上回る強力な戦艦を配備することによって[[ドイツ海軍]]への圧倒的優位を確立することを主眼において設計された。本級が建造されたときには、日米の戦艦の主砲で14インチ(35(35.6cm)6cm)砲を採用しており、ドイツ海軍も[[巡洋戦艦]][[マッケンゼン級巡洋戦艦|マッケンゼン級]]で口径の主砲に35cmを計画していることから、それらを凌駕するものとして「Mark.1 15インチ(38(38.1cm)Mark.11cm)砲」が選択された。当然、設計段階では未曾有の巨砲であり、設計時には現物などなかった。しかし大砲が完成してから船体を設計する既存の方法を踏襲すれば戦争に間に合わない。そこに、当時の海軍大臣[[ウィンストン・チャーチル]]の強力なる後押しにより、主砲が未成状態で砲塔や船体の設計を始めるという弩級戦艦時代以後では前例のない方法で建造が進められ、搭載されることになったのである。
[[File:Queen Elizabeth class diagrams Brasseys 1923.jpg|thumb|left|200px|本級の武装・装甲配置を示した図。]]
[[超弩級戦艦]]「[[オライオン級戦艦|オライオン級]]」でドイツ海軍に差をつけたイギリス海軍が次なる布石として、既存の超弩級戦艦を火力で上回る強力な戦艦を配備することによって[[ドイツ海軍]]への圧倒的優位を確立することを主眼において設計された。本級が建造されたときには、日米の戦艦の主砲で14インチ(35.6cm)砲を採用しており、ドイツ海軍も[[巡洋戦艦]][[マッケンゼン級巡洋戦艦|マッケンゼン級]]で口径35cmを計画していることから、それらを凌駕するものとして「15インチ(38.1cm)Mark.1」が選択された。当然、設計段階では未曾有の巨砲であり、設計時には現物などなかった。しかし大砲が完成してから船体を設計する既存の方法を踏襲すれば戦争に間に合わない。そこに、当時の海軍大臣[[ウィンストン・チャーチル]]の強力なる後押しにより、主砲が未成状態で砲塔や船体の設計を始めるという弩級戦艦時代以後では前例のない方法で建造が進められ、搭載されることになったのである。
 
== コンセプト ==
[[ImageFile:HMS Valiant-1Iron Duke (1912) 2.jpg|left|250px200px|thumb|戦艦ヴァリ前級である「アイアン・デューク」。]]
[[File:HMS Queen Elizabeth aerial view 1918.jpg|left|250px200px|thumb|竣工当時のクイーン・エリザベス。前級で主砲塔があった場所を機関区に充てたことが明確にわかる写真。]]
大口径に伴い、前級の[[アイアン・デューク級戦艦|アイアン・デューク級]]のように船体中心部に一直線上に砲塔5基を並べると艦体の大型化を招いてしまう上に建造費が嵩んでしまうので望ましくない。そこで、中央部の三番に主砲塔を配置するのをやめ、前部2基・後部2基の計4基の配置に改めた。この配置は重量削減のために行ったのだが、三番中央部砲塔の為空け充てていた空間を機関区の増大に充てたために最大出力の向上という思わぬ利点があった。機関配置の効率化に加えて新開発の重油専焼缶を大部分に採用したことも高速化に必要であった。
 
機関配置の効率化に加えて新開発の重油専焼缶を大部分に採用したことも高速化に効果があった。重油は石炭よりも遥かに燃焼効率がよく、同じトン数ならば40%も長く走ることができた。また、補給も水兵が石炭屑で真っ黒になりながら何度も手押し車で岸壁と石炭庫を往復しなくても燃料パイプを岸壁かタンカーに繋ぎ、バルブを一捻りすれば後は満タンになるのを待つだけであった。また、今まではボイラーへ機関兵が火炙りになりながらも腕が千切れるまで[[シャベル|スコップ]]で石炭を放り込む手間をバルブの一捻りで済むのである。これも海軍大臣チャーチルの功績であった。(これだけの利点があるにもかかわらず英国海軍は、後述の「[[リヴェンジ級戦艦|リヴェンジ級]]」で再び石炭重油混焼缶の比率を上げたのである)
 
しかし「速力こそ最大の防御」というミスリードが英国海軍に浸透していた時代のためか、防御は対1513.5インチ完全防御とは言えの域を出ず、対13.515インチ完全防御の域を出とは言えなかった。これは後々にまで本級の戦闘に響いた。しかし当時の仮想敵に対して垂直防御装甲330mmは必要にして十分な厚みであり、竣工当時では最強の戦艦であった。
 
これらの工夫により本級は戦艦でありながら高速力と巡洋艦並の航続性能も兼ね揃えた主力艦として後の高速戦艦のはしりとなった。
 
== 戦歴艦形について ==
[[File:Queen Elizabeth class diagrams Brasseys 1923.jpg|thumb|left|200px|本級の武装・装甲配置を示した図。]]
[[File:A 009255.jpg|left|250px|thumb|近代化改装後の戦艦クイーン・エリザベス]]
本級の船体形状は長短船首楼型[[船体]]を採用している。水面下に浮力確保の膨らみを持つ艦首から艦首甲板上に「Mark I 38.1cm(42口径)砲」を連装式の[[砲塔|主砲塔]]に収めて背負い式に2基を配置。2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に操舵装置を組み込んだ司令塔が立つ。天蓋部に[[レンジファインダー|測距儀]]を乗せた司令塔の背後から、三脚式の前部[[マスト]]が立つ。構成は頂上部に射撃方位盤室を持ち、中部に三段の見張り所をもっていた。前部マストの後部に1本[[煙突]]が立ち、左右舷側甲板上が艦載艇置き場となってり、単脚式の後部マストを基部とする[[クレーン]]1本により運用された。後部マストの後方に後部司令塔が立つ。後部甲板上に3番主砲塔の基部で船首楼は終了し、4番主砲塔は後部甲板上に直に配置する後ろ向き背負い式配置であった。
[[Image:HMS Warspite, Indian Ocean 1942.jpg|left|250px|thumb|近代化改装後の戦艦ウォースパイト]]
[[File:HMS Malaya.jpg|left|250px|thumb|戦艦マレーヤ。本艦は竣工当時の姿を色濃く残した外観のままであった。]]
 
本級の副砲である「Mark XII 15.2cm(45口径)速射砲」は前級同様に舷側ケースメイト(砲郭)配置である。2番主砲塔の側面から舷側に単装で前方3基・舷側3基で6基を配置し、舷側配置と別個に甲板上に防盾付きで片舷1基ずつを配置した。これにより片舷7基の計14基を装備した。この武装配置により前方向に最大で38.1cm砲4門と15.2cm砲6門、後方向に38.1cm砲4門、左右方向に最大で38.1cm砲8門と15.2cm砲7門を向けることが出来たが甲板上の2基は波浪の被害があったために後に撤去されて副砲は12基となった。
 
== 主砲 ==
[[File:HMS Queen Elizabeth forward guns Gallipoli 1915 AWM G00224.jpeg|left|200px|thumb|写真はクイーン・エリザベスの前部主砲塔]]
本級の前述通りに新設計の「Mark I 38.1cm(42口径)砲」を採用している。これを[[砲塔|連装砲塔]]に納めた。その性能は重量871kgの主砲弾を最大仰角20度で射距離21,702mまで届かせる事ができる性能で、射距離13,582mで舷側装甲305mmを、射距離18,020mで279mmを貫通できる性能であった。装填機構は自由角度装填で仰角20度から俯角5度の間で装填でき、発射速度は竣工事は毎分2発であった。砲身の仰角は15度・俯角5度で動力は蒸気ポンプによる水圧駆動であり補助に人力を必要とした。旋回角度は左右150度の旋回角が可能であった。
 
=== 副砲、その他備砲、雷装等 ===
[[File:HMS Warspite 6 inch gun casemate closeup.jpg|200px|thumb|写真はウォースパイトの副砲]]
副砲は「Mark XII 15.2cm(45口径)速射砲」を引き続き採用した。その性能は重量45.36kgの砲弾を最大仰角14度で射距離12,344mまで届かせる事ができる性能であった。装填機構は自由角度装填で仰角14度から俯角7度の間で装填でき、発射速度は竣工事は毎分5~7発であった。砲身の仰角は15度・俯角5度で動力は人力を必要とした。旋回角度は120度の旋回角が可能であった。その他に対戦艦用に53.3cm水中[[魚雷発射管]]を単装で4門を装備した。
 
== 戦歴 ==
[[File:HMS Malaya.jpg|left|250px200px|thumb|戦艦マレーヤ。本艦は竣工当時の姿を色濃く残した外観のままであった。]]
本級は戦時中に建造される主力艦ということもあり当初は4隻だけの計画であったが、英領マレーからの献金により「マレーヤ」が追加建造され計5隻となった。本級5隻は第一次大戦中に竣工し直ちに第5戦艦隊を編成してグランド・フリートに配属され、[[ユトランド沖海戦]]では、戦艦でありながら巡洋戦艦並の俊足を活かして英国巡洋戦艦部隊の危機にかけつけ、ドイツ巡洋戦艦部隊に一矢を報いている。以降はグランド・フリートの中核として[[ワシントン海軍軍縮条約]]後も保有が続けられた。
 
[[File:A 009255.jpg|left|250px200px|thumb|近代化改装後の戦艦クイーン・エリザベス]]
[[Image:HMS Warspite, Indian Ocean 1942.jpg|left|250px200px|thumb|近代化改装後の戦艦ウォースパイト]]
[[1926年]]から[[1927年]]にかけて第1次近代化改装を行った。[[1937年]][[5月20日]]のスピッド・ヘッド沖で行われた[[ジョージ6世戴冠記念観艦式]]に地中海艦隊の[[ダドリー・パウンド|パウンド]]大将旗艦として[[本国艦隊]]旗艦の[[ネルソン (戦艦)|ネルソン]]等とともに参列し天皇名代[[秩父宮雍仁親王]]夫妻を招待した。参加艦艇は同年8月にポーツマス工廠で姉妹艦[[ウォースパイト (戦艦)|ウォースパイト]]に準じた第2次近代化改装に着手。
 
[[File:HMS_Barham_explodes.jpg|200px|thumb|爆沈するバーラム]]
[[第二次世界大戦]]においては、1940年12月にロサイス工廠で工事完了後地中海艦隊に編入。[[1941年]][[12月19日]]、[[アレクサンドリア]]港内に停泊中、[[クイーン・エリザベス (戦艦)|クイーン・エリザベス]]は姉妹艦[[ヴァリアント (戦艦)|ヴァリアント]]とともにイタリア潜水艦シーレから発進した人間魚雷「ピグ」SLC-223の攻撃を受けて港湾内部で大破着底、[[1943年]]6月にようやく修理が完了して戦線に復帰した。[[1948年]]に除籍後、同年3月19日に売却。7月7日にダルムールに回航され解体処分された。
 
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*「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
*「世界の艦船増刊第67集 第2次大戦時のイギリス戦艦」(海人社)
{{Commons|Category:Queen Elizabeth class battleship}}
 
== 関連項目 ==