削除された内容 追加された内容
Qrsk075 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
Goki (会話 | 投稿記録)
m -和暦 (リンクの形式の修正+明治6年以降に生まれた人物にてついて和暦は不要(≠日本版)なため、テンプレートを除去する。)
1行目:
'''伊能 繁次郎'''(いのう しげじろう {{和暦|[[1901}}年]][[3月10日]] - {{和暦|[[1981}}]][[6月12日]])は、[[昭和時代日本]]の日本の[[政治家]]
 
== 経歴 ==
{{和暦|[[1901}}年]](明治34年)[[3月10日]]、[[千葉県]]佐原町(現在の[[香取市]])川岸に生まれる(ただし、[[本籍]]は同県中山村北方(現在の[[市川市]][[北方 (市川市)|北方]])にあった)。
 
[[旧制第四高等学校|第四高等学校]]・[[東京帝国大学]]英法学科を経て、{{和暦|1926t}}[[1926年]](大正15年)に[[鉄道省]]入省、{{和暦|[[1935}}年]](昭和10年)より在外研究員として欧米各国の交通事情を調査、帰国後の{{和暦|[[1939}}年]](昭和14年)には鉄道監察官に任ぜられる。
 
その後、{{和暦|[[1943}}年]](昭和18年)[[運輸通信省]]書記官兼大臣官房文書室長、翌年には[[門司鉄道管理局|門司鉄道管理局長]]を歴任、戦後には[[運輸省]]鉄道総局長官となった。{{和暦|[[1948}}年]](昭和23年)に政界に転じた[[佐藤栄作]]の後任として運輸省[[事務次官]]に任じられ、{{和暦|[[1951}}年]](昭和26年)退官して[[日本乗合自動車協会]]会長となったが{{和暦|[[1952}}年]](昭和27年)の[[第25回衆議院議員総選挙]]に[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]の公認を受けて千葉1区から立候補し、初当選を果たす。だが、翌{{和暦|[[1953}}年]](昭和28年)の[[第26回衆議院議員総選挙]]では次点で落選してしまう。
 
そのため、{{和暦|[[1954}}年]](昭和29年)に行われた参議院千葉選挙区の補欠選挙に立候補して当選、[[第4回参議院議員通常選挙]]でも再選された(通算2期)。
 
{{和暦|[[1960}}年]](昭和35年)[[第29回衆議院議員総選挙]]に今度は選挙区を千葉2区に移して立候補して当選、以後5期連続(通算6期)当選した。
 
{{和暦|[[1955}}年]](昭和30年)には運輸政務次官、{{和暦|[[1959}}年]](昭和34年)には[[第2次岸内閣]]の[[防衛庁長官]]を務めた。
 
この他に自由民主党参議院幹事長、自由民主党オリンピック準備特別委員長、衆議院議員運営・内閣・地方行政の各委員長、及び[[日本バス協会|日本乗合自動車協会]]長などを歴任した。これは、官僚時代に上司であった佐藤栄作の信任が厚かったことによるものと言われている。
 
{{和暦|[[1971}}年]](昭和46年)に勲一等瑞宝章を授けられ、{{和暦|[[1976}}年]](昭和51年)に政界を引退、{{和暦|[[1981}}年]](昭和56年)の逝去時には[[従三位]](生前は正五位)と銀杯が贈られた。{{80歳年齢|1901|3|10|1981|6|12}}
 
== 参考文献 ==