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* 第3回(1992年秋)で途中入りした[[山中すみか]]が突然カメラの前で「'''すいません、席がわからないです。'''」と言っていた。紳助は「'''誰やこいつ?'''」と誰か乱入してきたのかと思って思わず蹴り上げようと思ったという。
* 同じく第3回(1992年秋)、ピリオドの途中で[[西川のりお]]の機嫌が「非常に悪い」状態だったらしく、紳助は「'''紳士にクイズをやってください'''」と注意した。
* 第4回(1993年春)にて紳助が解答席、春先手術(この時は病名を偽っていた)を受けていた[[逸見政孝]]に紳助が「実は[[悪性腫瘍|癌]]なんです」とか「もうすぐ死にますよ」など冗談交じりに言った。皮肉にも逸見はその半年後の9月に癌である事を公表し、闘病生活の末同年12月25日に逝去した。紳助は自らの語った冗談が本当だった事に相当ショックを受けたという。そして逸見の亡くなった日の夜に紳助はインタビューで「癌という重病を抱えているのに何で仕事してたんですか。ドアホですよ、逸見さんは」と泣きながらコメントを述べていた。
*第9回(1995年秋)、当時フロアディレクターであり現在は感謝祭プロデューサーのTBS社員の江藤俊久が司会の紳助・和歌子にカンペで指示を出す際に間違えてしまう。紳助・和歌子がすぐに進行表と違うことに気づき、2人が同時に「違うよ」と言う。江藤は「私が間違えました!すみません!」とすぐさま謝罪し、紳助は当時フロアディレクターの江藤のもとへ「おもしろい奴だな」と思ったのか、笑顔で「江藤!」とマイクをむけて近くへ寄っていった。このとき、音響スタッフがたまたま見つけたのかミス時のBGMをならしていた。江藤はこの後、打ち上げの際に「あんなミスしちゃって・・・終わったな(クビになるな・・・)」と思ったが、紳助によほど気に入られたのか「ようやったで!」と激励されたと社員研修の本等で語っている。尚この件がきっかけとなり紳助と江藤は親しくなり、2010年4月から新番組(「[[紳助社長のプロデュース大作戦!]]」)を立ち上げることとなる。
* 第14回(1998年春)では視聴者が優勝者を予想する企画が行われた。優勝者に投票した人の中から抽選で50人が海外旅行がプレゼントされるというルールだったが、この日優勝した[[三村マサカズ]]に投票したのはたった1人だった。従って抽選無しで当選者決定となった。