「プラナコーンシーアユッタヤー郡」の版間の差分

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15世紀に書かれたとされる[[パーリ語]]の北タイにおける[[タムナーン|歴史書]]『[[ムーラサーサナー]]』によれば、14世紀半ばに[[スコータイ]]の南にアヨータヤーと呼ばれる町があり、二人の北タイの仏僧が仏教を学びに行ったとする記述があり、少なくとも建設が始まったばかりとはいえその頃既に、一定の規模の仏教の教育施設的なものが存在した可能性もある。
 
アユタヤ王朝の首都として発展し、[[国際都市]]として発展したが、1767年、ビルマ・[[コンバウン王朝]]によって崩壊。市内は廃墟となり、後にタイで覇権を握った[[タークシン]]王はアユタヤを放棄し、[[トンブリー]]に王都を築いたことで、アユタヤは歴史の表舞台から姿を消すこととなる。
 
一方で、20世紀後半から工業都市としての発展するようになった。発展に伴い、アユタヤ市街地は[[アユタヤ島]]を中心とする地域から[[チャオプラヤー川]]を越えて東へ移動した。現在旧市街地は、教育機関や官庁の建ち並ぶ地域となっている。