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'''ウルリヒ・フォン・フッテン'''('''Ulrich von Hutten'''、[[1488年]][[4月21日]] - [[1523年]][[8月29日]])は、[[ドイツ]]の[[作家]]、[[思想家]]、[[人文主義者]]。[[宗教改革]]期に[[カトリック教会]]を激しく批判した。
[[ヘッセン州]][[フルダ]]南西生まれで、騎士身分であった。ドイツ・イタリアの大学で学んだ。ラテン語の詩を書き、[[1517年]]、[[神聖ローマ皇帝]][[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]から[[桂冠詩人]]の称号を受けた。
ロイヒリン([[:en:Johann Reuchlin]]、ヘブライ語研究を行ったためカトリック教会から異端の疑いをかけられた)を擁護し、同志とEpistolae obscurorum
一時[[マルティン・ルター|ルター]]を支持。また、フッテンの思想的影響を受け、反カトリック的な騎士階層が[[トリーア大司教]]領を攻撃した(トリーア大司教は選帝侯を兼ねていた)。しかし、カトリック支持の諸侯から反撃を受け敗退([[騎士戦争]]、1522年 - 1523年)。フッテンは[[チューリッヒ|チューリヒ]]の[[フルドリッヒ・ツヴィングリ|ツヴィングリ]]のもとに逃れるが、まもなく病死した。
== 作品リスト ==
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