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上述のように、この小論には「異化」という言葉、および日常的言語と詩的言語の対比という特徴は見出せない。3年後のシクロフスキーがそれを自身の理論に導入し、「手法としての芸術」を著したのは、同時代の言語学者レフ・ヤクビンスキーとの出会い(あるいは相互交流)が大きな影響を与えたことによるものだ。ヤクビンスキーは音声学の見地から、「日常的言語と詩的言語」・「異化と自動化」を対立させていたのである<ref>(桑野 1979年) pp.97-100</ref><ref>(佐藤 2006年) pp.27-28</ref>。
 
たとえば「言葉の復活」のなかで、シクロフスキーは造語や不正確なアクセントづけなどを「異化」の一例として挙げているが、佐藤がいうように、けっきょく厳密な定義はなしえなかった<ref>一方で佐藤は、厳密な定義そのものが自動化をもたらすものであり、それは異化の思想と反するものだとも述べている (佐藤 2006年) p.33</ref>。とはいえ、たとえば彼自身が「手法としての芸術」で異化典型としてなかで引く、トルストイ「戦争と平和」の一場面が異化の典型としてあげられるだろう
 
{{Cquote|舞台の中央には平らな板が張られ、その両脇には樹を描いた色塗りの背景が立てられており、奥手にはあま布が床板まで張られていた(…)|松原明訳「手法としての芸術」『フォルマリズム : 詩的言語論』1988年、p.28}}