「シャンパーニュの大市」の版間の差分

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プロヴァン貨とジェノヴァ商人の到達について追加
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「織物の市」→「皮の市」→「ハカリの市(香辛料や油、紡ぎなど秤で量を計って売るものの他家畜、刃物、雑貨類など多岐にわたる)」
 
このあと、参加商人たちの片付け、外国貨幣の両替、清算などが済まされひとつの市が終わるのである。次の開催都市に移動するものもあれば母国に引き上げるものもいた。シャンパーニュの大市ではプロヴァノス貨(またはプロヴァン貨)が各地の貨幣に対する決済用の基準貨幣として用いられた。
 
14世紀に入り、シャンパーニュ伯がフランス王位を継承した事により国王領となる(1314年)。ところが、国家財政の悪化につれて税金が高騰するとともに、イタリア商人が羅針盤を手に入れて[[フランドル]](1277年にジェノヴァ商人スピノラ家がフランドルのズウィン湾に到達)・イングランドまで直行するに至って、国際市場としての役割を終えた。
 
== ゲーム理論による考察 ==