「鵯越大仏」の版間の差分

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*位置 神戸市北区山田町下谷上字中一里山
 
山腹にあるため大仏前の広場からは、直下の丸山地区のはじめ、神戸の町並みや[[神戸港]]、[[ポートタワー]]、[[ポートアイランド]]、晴れた日には遠く[[紀淡海峡]]までが見下ろせる。このように眺望のよい場所に建立された大仏は全国的にも非常に珍しい。すぐ右下に見える[[西神戸有料道路]]の[[丸山大橋]]大仏建立約30年後に建設されたものである。
 
当初、鵯越共葬墓地(鵯越墓園旧墓地)は、大仏よりも低い場所に作られ、その頂上に建立されたものである。現在は、その後の大仏よりも奥の山地の大規模な墓地開発によって、墓園入口に座する形となった。鵯越共葬墓地(鵯越墓園旧墓地)は[[1931年]](昭和6年)から[[兵庫区]]御崎町、吉田町の[[墓地]]の移転目的に、1932年に開発され、[[1946年]](昭和21年)に[[源平の合戦]]で知られる[[鵯越]]の戦跡である湊西区(当時のこの地の地名)から神戸市に引き継がれたもので、面積6.6haあり、現在は鵯越墓園旧墓地とよばれ、神戸市立鵯越墓園(総面積207.6ha)の一角をなしている。