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[[Image:Dietmar Hopp Sinsheim.jpg|thumb|right|200px180px|ディートマー・ホップ]]
 
'''ディートマー・ホップ'''('''Dietmar Hopp''', [[1940年]][[4月26日]] - )は、[[ドイツ]]・[[ハイデルベルク]]出身[[実業家]]。ソフトウェア会社[[SAP AG]]創業者であり、サッカークラブ・[[TSG1899ホッフェンハイム]]の出資者。ドイツ・[[ハイデルベルク]]出身である
 
== 概要人物 ==
[[Image:SAP AG Headquarter 1200.jpg|thumb|leftright|200px150px|ディートマー・ホップ通り]]
 
教師だった父親が糖尿病を患って働けなくなり、少年時代には石炭運搬のアルバイトをして家計を助けたこともある苦労人<ref name="サッカー批評">「ホッフェンハイムを躍進させたIT長者の金と愛」『サッカー批評42』、双葉社、2009年、36-41頁</ref>。1972年に[[IBM]]を退社して[[SAP AG]]を創業した5人のエンジニアのうちのひとりである。[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]誌によって世界で698番目に資産の多い人物と認められ、彼の個人資産は63億ユーロと言われている<ref name="サッカー批評"></ref>。2005年6月、SAP AG本社前の通りの名前がディートマー・ホップ通りに変更改名された。
 
=== TSG1899ホッフェンハイムとの関係 ===
ホップはまた、ドイツのサッカークラブ・[[TSG1899ホッフェンハイム]]の出資者としても有名である。ただしが、会長ではない。彼は少年時代にホッフェンハイムのユースチームに所属しており、1990年代に入ってから資金援助を行うようになった。当時、ホッフェンハイムは8部相当のリーグに属しており、最初はサッカーボール購入費を提供する程度の関係だったが、次第に援助金額を増やしていった。2006年にはドイツ屈指の理論派監督である[[ラルフ・ラングニック]]を招聘し、2年後の2008年には[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]の1部に昇格するまでに至った<ref name="サッカー批評"></ref>。ホップは6000万ユーロを投じて3万人収容の[[ライン・ネッカー・アレーナ]]を建設した。ブンデスリーガ1部昇格までに投じた資金は1億7500万ユーロに上り、「ドイツ版[[チェルシーFC]]」と揶揄されることもあるが、地元のクラブを長期間援助していることが[[ロマン・アブラモビッチ]]と大きく異なるとして、ホップはこの呼び名を嫌っている<ref name="サッカー批評"></ref>
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
==外部リンク==
* [http://www.forbes.com/lists/2008/10/billionaires08_Dietmar-Hopp_PSZ4.html Forbes World's Richest People]
 
{{DEFAULTSORT:ほつふ ていとま}}
[[Category:ドイツの実業家]]
[[Category:ドイツのサッカークラブの代表者]]