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'''兀庵普寧'''(ごったん ふねい、[[慶元]]3年([[1197年]]) - [[景炎]]元年[[11月24日 (旧暦)|11月24日]]([[1276年]][[12月30日]]))は、[[鎌倉時代]]中期に[[南宋]]から渡来した[[臨済宗]]の[[僧]]。諱は普寧。兀庵は字。諡号は宗覚禅師。
[[無準師範]](ぶしゅんしばん)に師事。[[文応]]元年([[1260年]])、[[蘭渓道隆]]・[[円爾]]の招きにより来日し、[[博多]]の[[聖福寺]]に入った。[[鎌倉幕府]][[執権]][[北条時頼]]の要請により[[鎌倉]][[建長寺]]2世となる。建長寺の本尊は[[地蔵菩薩]]であるが、兀庵は地蔵菩薩は自分より下位であるとして礼拝しなかったという。時頼は兀庵に師事して参禅・問法を重ね印可を受けた。[[弘長]]3年([[1263年]])、時頼が亡くなると支持者を失い、[[文永]]2年([[1265年]])に帰国してしまった。晩年は[[温州]]([[浙江省]])の江心山[[龍翔寺]]に住んだ。
==兀庵普寧の法系「宗覚派」==
▲#兀庵普寧禅師(大宋特賜 宗覚禅師・建長寺第二世)
▲#[[北条時頼]](最明寺入道道崇)
▲(南州下)
#[[
#[[
#[[兀庵普寧]]禅師(大宋特賜 宗覚禅師・[[建長寺]]第二世)
▲(東巌下)
▲#[[兀庵普寧]]禅師(大宋特賜 宗覚禅師・[[建長寺]]第二世)
▲#[[東巌慧安]]禅師(勅諡 宏覚禅師・正傳寺「[[諸山]]」開山)
#[[法位円性]]禅師([[正傳寺]]住持)
#[[在庵円有]]禅師([[福海寺]]「[[諸山]]」開山・正傳寺住持)
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{{DEFAULTSORT:ふねい}}
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[[Category:1197年生]]
[[Category:1276年没]]
▲{{Buddhism-stub}}
[[ru:Уань Пунин]]
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