「ジョン・フィッツジェラルド (テニス選手)」の版間の差分

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[[1987年]]のフィッツジェラルドは肩の手術のため、単複とも年間未勝利に終わった。[[1988年]]からは、[[アンダース・ヤリード]]と組んで出場した大会で好成績が増え始め、2人は[[1988年全仏オープンテニス|全仏オープン]]と[[1988年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]の男子ダブルスで準優勝したが、まだフィッツジェラルドの最後の目標であるウィンブルドン初優勝には届かなかった。そしてついに、[[1989年ウィンブルドン選手権|1989年ウィンブルドン]]の男子ダブルス決勝で、フィッツジェラルドとヤリードは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]ペアの[[リック・リーチ]]&[[ジム・ピュー]]組を 3-6, 7-6, 6-4, 7-6 で破って初優勝を飾った。こうして、ジョン・フィッツジェラルドの男子ダブルス「キャリア・グランドスラム」が完成した。しばらく途切れていた[[エリザベス・スマイリー]]との混合ダブルスも復活し、2人は[[1990年ウィンブルドン選手権|1990年ウィンブルドン]]で5年ぶりにペアを組んだ。
 
[[1991年]]、ジョン・フィッツジェラルドとアンダース・ヤリードはダブルスで年間6勝を挙げ、[[1991年全仏オープンテニス|全仏オープン]]・[[1991年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]・[[1991年全米オープンテニス|全米オープン]]で4大大会3連勝を達成した。年頭の[[1991年全豪オープンテニス|全豪オープン]]だけは、2人は3回戦で敗退している。[[1991年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]ではスマイリーとの混合ダブルスでも初優勝を飾り、自身初の2部門制覇を成し遂げた。しかし、フィッツジェラルドとヤリードは[[1992年全豪オープンテニス|1992年全豪オープン]]で3回戦敗退に終わり、4大大会ダブルス4連勝を逃してしまう。[[1993年全豪オープンテニス|1993年全豪オープン]]では、このコンビで決勝に進み、フィッツジェラルドにとっては[[ジョン・アレクサンダー]]と組んだ[[1982年全豪オープンテニス|1982年]]以来「11年ぶり」2度目の全豪決勝の舞台に立ったが、ここでも準優勝に終わった。結局、フィッツジェラルドは「アンダース・ヤリードとの同一ペアによる」キャリア・グランドスラムを果たせなかった。
 
フィッツジェラルドは[[日本]]でプレーした回数も多く、[[1988年]]の「[[セイコー・スーパー・テニス]]」で[[ボリス・ベッカー]]に敗れた準優勝がある。[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]の男子ダブルスでは、[[1988年]]に[[ヨハン・クリーク]]と組んで優勝し、[[1991年]]と[[1995年]]の2度[[アンダース・ヤリード]]と組んで準優勝した。[[1995年全米オープンテニス|1995年全米オープン]]の男子ダブルス3回戦敗退を最後に、フィッツジェラルドは第一線から退いたが、現役最後の試合は[[1997年全豪オープンテニス|1997年全豪オープン]]男子ダブルス1回戦で、パートナーは[[オーストラリア]]の後輩選手[[パトリック・ラフター]]であった。