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[[1989年]]の[[1989年全豪オープンテニス|全豪オープン]]で、ヘザリントンとフェンディックは2大会連続でグランドスラムの女子ダブルス決勝に進んだが、[[マルチナ・ナブラチロワ]]&[[パム・シュライバー]]組に 6-3, 3-6, 2-6 の逆転で敗れた。ナブラチロワとシュライバーは、全豪オープン女子ダブルスで[[1982年全豪オープンテニス|1982年]]から連続優勝を続け、(同オープンの会場移転で実施されなかった[[1986年]]をはさんで)7連覇を達成したが、最後に敗れたのがヘザリントン&フェンディック組である。[[1989年]]4月、ジル・ヘザリントンは[[エリザベス・スマイリー]]とのペアで[[日本]]の[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]女子ダブルス優勝を果たした。この年の女子テニス年間最終戦「[[WTAツアー選手権|バージニア・スリムズ選手権]]」を最後に、ヘザリントンとフェンディックはペアを解消した。
 
フェンディックとのペアを解消した後、ヘザリントンはいろいろな選手たちとのコンビネーションを試したが、[[1991年]]から大半のトーナメントで[[キャシー・リナルディ]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])と組むようになった。[[1991年全豪オープンテニス|1991年全豪オープン]]女子ダブルスで、ヘザリントンはリナルディとのコンビで勝ち進んだが、準決勝で第1シードの[[ジジ・フェルナンデス]]&[[ヤナ・ノボトナ]]組に敗れ、2年ぶりの決勝戦には届かなかった。リナルディとのコンビでは、優勝2大会・準優勝10大会の成績を残している。ヘザリントンは[[1994年]]を最後にシングルスから撤退し、最後の3年間はダブルスに活動を絞った。[[1996年]]までカナダ代表選手を続けたフェデレーションカップでも、[[1991年]]以後はシングルス戦に出場せず、ダブルス戦のみに出場している。
 
シングルスから撤退した後の[[1995年全仏オープンテニス|1995年全仏オープン]]で、ヘザリントンは混合ダブルスで準優勝し、ここで4大大会最後の活躍を見せた。[[ジョン・ラフニー・デ・ヤーガー]]([[南アフリカ共和国|南アフリカ]])とペアを組んだ彼女は、決勝で[[マーク・ウッドフォード]]([[オーストラリア]])&[[ラリサ・ネーランド]]([[ラトビア]])組に 6-7, 6-7 で敗れ、2セット連続で[[タイブレーク]]を失った。[[アトランタオリンピックにおけるテニス競技|1996年アトランタ五輪]]で2度目のオリンピックに出場した時は、[[パトリシア・ヒー=ブーレ]]と組んだ女子ダブルスでベスト8に勝ち進んだ。彼女の現役最後の試合は、[[1997年全米オープンテニス|1997年全米オープン]]の女子ダブルスであった。最後の大会ではリナルディとペアを組み、1回戦で[[ビーナス・ウィリアムズ|ビーナス]]と[[セリーナ・ウィリアムズ|セリーナ]]のウィリアムズ姉妹組に勝った後、続く2回戦で[[リサ・レイモンド]]&[[レネ・スタブス]]組に 1-6, 7-5, 3-6 で敗れた。こうして、ジル・ヘザリントンはダブルス選手としての15年間の選手経歴を終えたのである。