「ファビオラ・スルアガ」の版間の差分

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[[2000年]]には[[2000年全豪オープン|全豪オープン]]本戦にも初出場し、2回戦で[[ジュリー・アラール=デキュジス]]に敗れたが、こうしてズルアガはコロンビアのテニスを世界に紹介し始めた。[[2000年]]の[[シドニーオリンピックにおけるテニス競技|シドニー五輪]]の[[コロンビア]]代表選手にも選ばれ、女子シングルスで[[アランチャ・サンチェス]]との3回戦まで進出する。同年10月に初来日し、「[[トヨタ・プリンセス・カップ]]」と「[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]」を連戦した。
 
その後故障でしばらくツアーを離れたが、[[2001年]]10月に復帰する。[[2003年]]の[[フェドカップ]]で、[[コロンビア]]・チームは初めて最上位8ヶ国の「ワールドグループ」進出を果たした。[[2004年]]の[[2004年全豪オープンテニス|全豪オープン]]で、ファビオラ・ズルアガは[[コロンビア]]の女子テニス選手として史上初のベスト4進出を成し遂げる。準々決勝で[[フランス]]の[[アメリ・モレスモ]]が試合直前に故障を起こしたため、ズルアガは不戦勝で準決勝に進んだが、第1シードの[[ジュスティーヌ・エナン|ジュスティーヌ・エナン・アーデン]]に 2-6, 2-6 で敗れた。この年は[[2004年全仏オープンテニス|全仏オープン]]でも[[セリーナ・ウィリアムズ]]との4回戦に進出し、ここでも自己最高成績を出している。同年の[[アテネオリンピック (2004年) におけるテニス競技|アテネ五輪]]で2度目のオリンピック出場も果たし、シングルス3回戦で[[イタリア]]の[[フランチェスカ・スキアボーネ]]に敗れた。
 
[[2005年]]1月17日付の女子テニス世界ランキングで、ファビオラ・ズルアガはコロンビア人選手として最高順位の「16位」にランクされたが、[[2005年全米オープンテニス|2005年全米オープン]]の2回戦で[[キム・クライシュテルス]]に敗れた試合を最後に現役を引退した。