「マーガレット・スミス・コート」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Vigopybot (会話 | 投稿記録)
Akasenbot (会話 | 投稿記録)
2行目:
'''マーガレット・スミス・コート'''('''Margaret Smith Court''', [[1942年]][[7月16日]] - )は、[[オーストラリア]]・[[ニューサウスウェールズ州]]出身の女子[[テニス]]選手。旧姓は「マーガレット・スミス」(Margaret Smith)であるが、バリー・コート(Barry Court)との結婚後、両方の姓を併用して「マーガレット・スミス・コート」夫人と名乗った。日本では単純に「マーガレット・コート」夫人と呼ばれることが多い。[[1970年]]に女子テニス史上2人目の「[[グランドスラム (テニス)|年間グランドスラム]]」を達成した選手で、4大大会優勝記録で女子歴代1位の「24勝」を樹立した。
 
マーガレット・スミスは本来左利きであったが、テニスでは右利きに直された。女子選手として体力をつけるため、早くから熱心に基礎体力トレーニングに打ち込み、当時の女子テニスに画期的な影響を与えている。[[1960年]]に地元の[[1960年全豪テニオートラリア選手権 (テニス)|全豪選手権]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]初優勝を飾り、以後同大会に前人未踏の7連覇を達成。[[1962年]]に[[1962年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]を除く4大大会年間3冠を獲得。ウィンブルドンには[[1963年ウィンブルドン選手権|1963年]]に初優勝を飾っている。[[1967年]]にバリー・コートと結婚して「マーガレット・スミス・コート夫人」となり、この年は1年間競技を退いた。
 
[[1968年]]にテニス界は史上最大の転換期を迎え、プロ選手の4大大会出場を解禁する「オープン化」という措置を実施する。大会の名称も変更されて、[[全豪オープン]]、[[全仏オープン]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]となった。[[1968年]]以後のテニス記録は「[[オープン化時代]]」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。コート夫人はアマチュア選手として4大大会出場を続けてきたが、オープン化措置の実施後にプロ選手となった。この過渡期にはトーナメントにも変化が多く、[[1968年]]と[[1969年]]には[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]が2度開催されている。1回目が正式な「オープン化時代大会」として公式記録となり、年末の12月に別途開催の「全米選手権」が行われた。[[1968年全米オープンテニス|1968年]]の場合、全米オープン選手権の公式記録には「オープン化時代大会」の優勝者[[バージニア・ウェード]]([[イギリス]])の名前を記載する。そのため、コート夫人が制した2回目の「全米選手権」は公式優勝記録にならない。[[1969年全米オープンテニス|1969年]]の場合は「オープン化時代大会」優勝者としてのコート夫人の名前が公式記録になる。
31行目:
!年!!大会!!対戦相手!!試合結果
|-style="background: #CFF;"
| [[1960年]] || [[1960年全豪テニオートラリア選手権 (テニス)|全豪選手権]] || {{flagicon|Australia}} [[ジャン・レヘイン]] || 7-5, 6-2
|-style="background: #CFF;"
| [[1961年]] || [[1961年全豪テニス選手権|全豪選手権]] || {{flagicon|Australia}} [[ジャン・レヘイン]] || 6-1, 6-4