「エーロ・ヤルネフェルト」の版間の差分

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[[ロシア帝国|帝政ロシア]]統治下にあった[[カレリア]]の都市ヴィープリ(現[[ヴィボルグ]])に生まれた。父はロシア帝国陸軍将校のアウグスト・アレクサンドル・ヤルネフェルト、母は(子供たちの活躍によって)「フィンランドの芸術文化の母」と呼ばれるエリサベト・ヤルネフェルトである。妹アイノは1892年に作曲家[[ジャン・シベリウス]]と結婚した。他にカスパル、アルヴィド、エレン、[[アルマス・ヤルネフェルト|アルマス]]、ヒリャ、シグリドの兄弟姉妹がいた。
 
1883年から1885年にかけて、アルベルト・エーデルフェルトも学んだ[[サンクトペテルブルク]]芸術アカデミーに通った。1886年に[[パリ]]へ留学し、[[アクセリ・ガッレン=カッレラ]]、エミール・ウィクストレーム、ルイ・シュパラーらと親しくなった。そこでヤルネフェルトはフランスの画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの戸外主義と自然画に惹かれた。1889年に旅行先の[[ケウルー]]で女優のサイミ・スワンと出会い、翌年結婚した。
 
代表作の「賃金奴隷」(1893年)は、[[焼畑農業]]の様子を描いたものである。