「安全地帯 (ロックバンド)」の版間の差分

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=== 1980年代を代表するロックバンド ===
'''[[1982年]]'''<br/>
1月24日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系音楽番組『[[夜のヒットスタジオ]]』に井上陽水のバックバンドとして初出演する。井上陽水の春・夏のコンサートのサポート・ミュージシャンとして参加し、秋から翌年1月までの全国ツアーのバックバンドを務め、好評を博した。2月25日、シングル『[[萠黄色のスナップ]]』でデビュー。4月、[[キティレコード]](現・[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]])と正式契約。メンバーは東京に転居して合宿生活を開始するが、大平市治が脱退する。田中裕二が再加入することで、デビュー以後の安全地帯の5人のメンバーが確立した。5月、東京・渋谷『エッグマン』でライヴ。7月、井上陽水のバックバンドとして、東京・[[日比谷野外音楽堂]]、[[大阪城野外音楽堂]]のコンサートをサポートする。8月上旬、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演する。下旬、1st.アルバム『安全地帯Ⅰ-Remember to Remember』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始し、メンバーの合宿生活を終える。玉置は、東京・目黒の四畳半一間のアパートを借家。一人暮らしに馴染めず、売り上げの芳しくないレコード、コンサートが続くことも相まって、自暴自棄に陥りそうになる。苦しいなりにも自信は失っておらず、テレビコマーシャルか番組主題歌に起用される機会を窺っていた。10月25日、2nd.シングル『オン・マイ・ウェイ』を発表し、ブリストン・アイスコンパウンド・イメージソングに起用された。11月、井上陽水のツアーに翌年1月まで同行した。
 
'''[[1983年]]'''<br/>