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しまあじ (会話 | 投稿記録)
C:CITE分類-タグが貼られた日時:2009年10月27日11:25(UTC)
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== エピソード ==
* [[ジャイアント馬場]]は、「[[ウィリアム・アフィルス|ディック・ザ・ブルーザー]]&[[クラッシャー・リソワスキー]]組より超獣コンビの方が上、史上最強のタッグチーム」と評している{{要出典|date=2009年10月}}。
* ライバルである[[ジャンボ鶴田]]は、ミラクルパワーコンビと[[ロード・ウォリアーズ]]のどちらが強かったかというファンからの質問に対して、ミラクルパワーコンビの方が強かったと答えている{{要出典|date=2009年10月}}。また、当のブロディ、ハンセンはシングルプレイヤーとしても突出している自分たちと、タッグチームとしてのみ存在価値を持っているロード・ウォリアーズでは比較にならないとコメントすることが多かった{{要出典|date=2009年10月}}。また[[天龍源一郎]]も「ミラクルパワーコンビはレスリングも出来たし、30分、1時間といった試合も十分こなせた。だがウォリアーズにはそれは出来なかっただろう」と語っている{{要出典|date=2009年10月}}。
* 日本におけるこのコンビの入場テーマ曲は両者のテーマ曲を合体させたものである。また、二人とも同格であるということを意識して、リング・アナウンサーによる選手紹介の順番は必ず日替わりでどちらかが先に呼ばれることになっていた(通常、タッグでは最後に紹介される選手がチームリーダーであることが慣例)。
* ミラクルパワーコンビの試合を数多く裁いた[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]の[[ジョー樋口]]によると、ブロディがこのコンビの指令塔だったという{{要出典|date=2009年10月}}。だがブロディは親友であるハンセンの「[[ラリアット|ウエスタン・ラリアット]]」の方が自分の「キングコング・ニードロップ」より知名度は上と認めており、フィニッシュをハンセンに譲る事が多かった。
* ブロディが亡くなった年の夏の全日本、[[日本武道館]]大会では、前年のタッグ対決を受けて、ハンセンとブロディの一騎打ちが検討されていた{{要出典|date=2009年10月}}。しかし、急忌により幻となった。代替としてハンセンは、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]と一騎打ちをおこなった。ブッチャーはブロディ同様のチェーンを帯同し入場、ハンセンはミラクルパワーコンビのテーマで入場した。ハンセンのテーマである「サンライズ」からブロディの入場テーマであった[[レッド・ツェッペリン]]の「移民の歌」にチェンジした瞬間、場内にブロディコールが爆発した。なお、来賓として、ブロディ夫人と息子が来日し、リングで挨拶も行った。
 
== 脚注 ==