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'''竹内 道雄'''(たけうち みちお、[[1921年]][[3月17日]] - [[2004年]][[2月27日]])は、[[日本]]の[[官僚]]。[[事務次官#財務事務次官(大蔵事務次官・大蔵次官)|大蔵事務次官]]。82歳
 
== 略歴 ==
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1965年10月1日、[[理財局]]国庫課[[日本国債|国債]]発行準備室立ち上げにともない、準備室長に大谷邦夫国庫課長(1947年入省、日銀政策委員、[[協和銀行]]副頭取、[[徳陽シティ銀行|徳陽相互銀行]]社長)が就任し、竹内が同局総務課長兼国庫課長に。1967年、[[近畿財務局]]長、のち[[主計局]]次長、1971年6月15日~1973年6月26日の間、[[大臣官房]]長を経て、1974年、[[主計局]]長、1975年~1977年、[[財務事務次官|大蔵事務次官]]に就任。1978年12月に[[国際協力銀行|日本輸出入銀行]]総裁、1982年、[[東京証券取引所]]理事長。1989年(平成元年)から、1965年(昭和40年)の[[山一證券]]破綻事件で設立なった由来をもつ[[資本市場振興財団]]理事長になる。1993年(平成5年)[[勲一等]][[瑞宝章]]受章。1999年(平成11年)から大蔵省[[参与]]。
 
帝大時代は[[ボート]]部に属し、東大ボート部から大蔵省へ、これまで比較的多くの大蔵官僚が歩むコースの先鞭をつけた。後輩の[[長岡實]]もそのラインからによりスカウトされた。
 
なお[[バブル経済]]崩壊とその処理の拙さにより、大蔵省・日銀バッシングが激しくなっ戦後頃に、大蔵省が戦後復興から時代を経るにその権限を増幅させるに伴なって、それに対する大蔵官僚・職員の意識・気構えが付随していかなかったを大蔵省バッシングが激しくなった頃に述べてい
 
{{先代次代|近畿財務局長|1967年 - 1968年|[[船後正道]]|[[高橋英明]]}}
{{財務事務次官|大蔵事務次官|1975年 - 1977年}}
 
{{DEFAULTSORT:たけうち みちお}}
[[Category:日本の財務官僚]]