「渋谷天外 (2代目)」の版間の差分

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[[1957年]](昭和32年)、「[[毎日演劇賞]]」、[[1964年]](昭和39年)、「[[NHK放送文化賞]]」を受賞する。
 
[[1965年]](昭和40年)、寛美が多額松竹新喜劇借金を抱え込むなど心労人気重なった末急上昇する中、公演中倒れ、回復後は麻痺が残るも[[1967年]](昭和42年)舞台に復帰する。
その入院中に寛美が多額の借金問題で当時の㈱松竹新喜劇の勝忠夫社長に解雇され、天外も病床にて事後承認をせざるをえなかった。
 
寛美が新喜劇を解雇された時に詫びたが「アホ!借金なんか作りよって!」と一喝した(事実上、この時点で寛美は「破門」の烙印を押された。)。
 
[[1968年]](昭和43年)、[[紫綬褒章]]、[[1977年]]には、勲四等[[旭日小綬章]]を受章する。