「ニコラ・レグロッターリエ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
40行目:
[[2006年]] [[ディディエ・デシャン|デシャン]]監督が就任したユヴェントスに復帰。クラブが[[カルチョ・スキャンダル|カルチョポリ]]の影響で[[セリエB (サッカー)|セリエB]]に降格し[[ファビオ・カンナヴァーロ|カンナヴァーロ]]や[[リリアン・チュラム|テュラム]]を放出した事による人材難に瀕したことから、再び構想に入る事になった。対戦相手のレベルが下がったという側面もあるが、一応の活躍を見せセリエA復帰に貢献した。
 
[[2007年]] [[クラウディオ・ラニエリ|ラニエリ]]監督が就任したユヴェントスに残留。[[ジョルジュ・アンドラーデ|アンドラーデ]]や[[ドメニコ・クリシート|クリシート]]を獲得し、試合出場機会が減るのではと予想されたが、アンドラーデが怪我で長期離脱し、クリシートも期待外れに終わったため、レギュラーとして定着するきっかけとなった。この頃、レギュラーで試合に出場しプレーに自信を取り戻したため「キエーヴォ時代のパフォーマンスに戻った」と本人もコメントしている{{要出典|date=2008年5月}}。事実、一時期ユヴェントス監督就任が噂された[[ジョゼ・モウリーニョ|モウリーニョ]]からも「ユーベの中ではレグロッターリエがいいプレーをしている」と真っ先に評価されている{{要出典|date=2008年5月}}。
 
[[2008年]] [[ジョルジョ・キエッリーニ|キエッリーニ]]の負傷やレギュラークラスの不調により、5年ぶりに代表に招集された。2007-08シーズン、[[ユヴェントス]]の失点の少なさはセリエA中2位タイであり、フル稼働したレグロッターリエの功績が認められた形となった。