「ジョン・ダウランド」の版間の差分

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==生涯==
1588年に[[オックスフォード大学]]で音楽士となった。宮廷リュート奏者を望むも、自身が[[カトリック]]教徒であったため、[[イングランド国教会]]の英国では受け入れられず、海外に職を求めた。[[ニュルンベルク]]、[[ヴェネツィア]]、[[フィレンツェ]]などヨーロッパ諸国各地を遍歴し、1598~16031598~1606年には[[デンマーク]]で[[クリスチャン4世]]付きのリュート奏者をめた。
 
1606年にイギリス戻り、1612年に国王付のリュート奏者となった。ダウランド自身は、その名のもじりである "semper dolens"(常に嘆いている)を標榜したが、陽気な人間であったと伝えられる。
 
==作品==
残された作品は声楽とリュート音楽に分けられる。宗教的な作品楽曲はほとんど見あたらず、愛や悲しみを歌う通俗作品が特徴的である。
 
'''声楽'''は世俗曲であり、1597年、1600年、1603年に歌曲集が出版され、80以上の作品が残されている。『流れよ我が涙』(Flow my tears)は当時のもっとも高名な歌である。
 
'''リュート音楽'''は、ファンタジアやパヴァーヌ・ガリヤード・ジグなどの舞曲を含む、独奏ないし合奏の曲である。ダウランドの作品広くヨーロッパで愛好され、多くの作曲家が、彼のメロディーを元にして、多くの作曲家が舞曲に編曲を残ている
 
文学においても、『流れよ我が涙』は、SF作家[[フィリップ・K・ディック]]により、作品小説『流れよ我が涙、と警官は言った』のモチーフとして参照されている
 
[[2006年]]、ポップス界の大御所[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]が、ダウランド作品集『ラビリンス - 』(Songs from the Labyrinth)を発表して注目された。
 
== 録音 ==