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前の[[片山内閣]]の[[内閣総辞職|総辞職]]に伴い、引き続き[[民主党 (日本 1947-1950)|民主党]]・[[日本社会党]]・[[国民協同党]]を[[与党]]として発足した。{{和暦|1948}}[[10月7日]]に総辞職し、次の第2次吉田内閣の組閣まで職務を執行した。
 
マッカサーからの書簡に従って、いわゆる[[政令201号]]を出し、公務員のスト権を奪った。
[[復興金融金庫]]の融資をめぐる[[昭和電工事件]]で総辞職し、総辞職後、芦田均自身も逮捕された(裁判では無罪)。
 
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