「長岡京」の版間の差分

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== 概要 ==
長岡京は[[桓武天皇]]の勅命により、[[平城京]]から北へ40kmの長岡の地<ref>現在の西京区と向日市の境界を南北に延びる西ノ岡丘陵(向日丘陵、長岡丘陵とも)は自然の土壇で、「長岡」の地名もこれに由来する。</ref>に遷都して造営され<ref>宮域は丘陵上に、右京は段丘上に、左京は桂川氾濫上に立地する。</ref>、平城京の地理的弱点を克服しようとした都市であった。長岡京の近くには[[桂川]]や[[淀川|宇治川]]など、3本の大きな川が[[淀川]]となる合流点があった。全国からの物資を荷揚げする港「山崎津」を設け、ここで小さな船に積み替える。そこから川をさかのぼると直接、都の中に入ることができた。長岡京にはこうした川が3本流れ、船で効率よく物資を運ぶことができ、陸路を使わざるを得なかった平城京の問題を解消できた。
 
発掘調査では、ほぼ各家に井戸が見つかっていることから、そこに住む人々も豊かな水の恩恵を受けていたと言える。平城京で問題となっていた下水にも対策が立てられた。道路脇の流れる水を家の中に引き込み、排泄物を流すようになっていた。長岡京の北西で湧いた豊かな水は、緩やかな斜面に作られた都の中を自然に南東へ流れ、これによって汚物は川へ押し流され、都は清潔さを保っていた。