「デニス・アルトマン」の版間の差分

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アルトマンは様々な性解放に関するスピーチを行っているが、その中でも最も広く知られ、高く賞賛されているのは、1972年1月19日にシドニー大学で行われた最初のゲイ・リベレーション集会における『Human beings can be much more than they have allowed themselves to be』である。
 
ゴア・ヴィダルは『[[都市と柱]](''[[:en:The City and the Pillar|The City and the Pillar]]'')』の序文で、アルトマンが『都市と柱』をオーストラリアに持ち込もうとした時、[[シドニー空港]]で差し押さえられ、猥褻であると判決を受けたものの、当の判決を下した裁判官が後にその法律自体が「馬鹿げたもの」であると付属的見解を出し、その後の撤廃に繋がった、と書いている。
 
アルトマンは同性愛者の生活改善のための組織の活動的なメンバーであり、オーストラリアン・ナショナル・カウンシル・オン・エイズの委員で、アジア太平洋エイズ協会(ASAP)の代表(2005年の神戸ICAAP会期現在)でもある。ゲイ活動家として強く認識されているが、アルトマンはより広い価値観に基づいた機構に貢献している。2006年10月、彼は[[オックスファム]]・オーストラリアの委員に選出された。