「インノケンティウス12世 (ローマ教皇)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
SieBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 変更: nl:Paus Innocentius XII
Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
37行目:
このような教皇庁の風紀の一新だけでなく、教皇領全体の改革を推進した。裁判や法治がきちんとおこなわれるための「インノケンティウスのフォーラム」(Forum Innocentianum)を設置している。[[1693年]]には[[ガリカニスム]]の論議に関して4人のフランス人枢機卿を追放している。フランス教会の教皇権からの自立性を唱えるガリカニスムの精神は[[1682年]]の「ガリカニスム四か条」によってはっきりと宣言されていた。[[1699年]]にはジャック・ベニン・ボセーとフェヌロンの間で起きた静寂主義をめぐる論争では後者の行き過ぎを批判して、前者を是としている。
 
彼の教皇在位中は、神聖ローマ帝国との関係でてんてこまいだった前任者達と違いフランスとの折衝に力をいれた点できわだっている。この徳に秀で自制心の強かった教皇は1700年9月27日に惜しまれつつこの世を去った。
 
{{ローマ教皇|第242代:1691年 - 1700年}}