「浮遊霊」の版間の差分

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'''浮遊霊'''(ふゆうれい)とは、自分が死んだことを理解できなかったり、自分の死を受け入れることができないことで、現世をさまよっているとされる霊のこと<ref>{{Cite web|url=http://kotobank.jp/word/%E6%B5%AE%E9%81%8A%E9%9C%8A|title=浮遊霊|work=[[コトバンク]](デジタル[[大辞泉]])|publisher=[[朝日新聞社]]・[[ECナビ]]|accessdate=2010-02-21}}</ref><ref>『知っておきたい世界の幽霊・妖怪・都市伝説』西東社、2008</ref>。あるいは、肉体から離れて浮遊している霊 全般を指す。
'''浮遊霊'''(ふゆうれい)とは[[昇天]]や[[成仏#日本文化のなかでの「成仏」|成仏]]をせず、この世([[現世]])を彷徨い続ける[[霊]]。
 
最初に挙げた意味の浮遊霊は、別の言い方をすると、[[昇天]]や[[成仏#日本文化のなかでの「成仏」|成仏]]をせず、この世([[現世]])を彷徨い続けている[[霊]]のことである。突然死んだ場合などで、自分が死んだことを理解できない場合や、または心理的に受け入れられない場合などにこの状態になる、と[[霊能者]]やスピリチュアル・カウンセラーらによって説明されている。
「浮遊霊」の語は、[[霊能者]]や[[スピリチュアリティ|スピリチュアル・カウンセラー]]の間で多く用いられている用語であり、人間の死後、その者自身が自らの死を理解できない、または受け入れないことにでこの状態になるとされている<ref>{{Cite web|url=http://kotobank.jp/word/%E6%B5%AE%E9%81%8A%E9%9C%8A|title=浮遊霊|work=[[コトバンク]](デジタル[[大辞泉]])|publisher=[[朝日新聞社]]・[[ECナビ]]|accessdate=2010-02-21}}</ref>が、実際には超常現象研究家・[[中岡俊哉]]が[[昭和]]40年代に用い始めた[[造語]]であり、それ以前にこのような言葉は存在しなかったとの指摘もある<ref>{{Cite web|author=[[中山市朗]]|date=2009-03-18|url=http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/archives/51214365.html|title=ザ・ベストハウス123|work=[http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/ 中山市朗ブログ]|publisher=|accessdate=2010-02-21}}</ref>。
 
浮遊霊の中でも、特定の場所や建物に居付いてしまっているものは[[地縛霊]]と呼んで区別することがある。
昭和48年([[1973年]] )- 昭和51年([[1976年]])[[講談社]]の「[[週刊少年マガジン]]」に連載された[[つのだじろう]]の[[漫画]]『[[うしろの百太郎]]』で広く知られるようになった。
 
==歴史==
古代の日本では魂はからだから簡単に離れてしまうことがあると考えられていた。古代の[[鎮魂祭]]についての注釈書には、[[鎮魂]]とは浮遊した霊を身体の中府に収めて鎮めることだ、という記述がある<ref>鎌田東二『宗教と霊性』1995、p.335</ref>。日本の宮廷儀礼では鎮魂祭が重視された<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』角川学芸出版、2008、p.92-94</ref>。また病から死への移行という側面に関しては、日本の古代から中世にかけては、天皇の病気は空中に'''浮遊する邪霊や怨霊'''が天皇の体内に侵入した結果生ずると考えられていた。こうした邪霊や怨霊を巧みに取り除くことができれば天皇は死をまぬがれ、再び生の世界つまり[[現世|この世]]へ復帰できるが、除去に失敗すると天皇の肉体は[[死体|亡骸]](むくろ)になってしまう、と考えられた<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>。そうした邪霊や怨霊がやがて「[[もののけ]]」として理解され、洗練されたり、また大衆化されたりした。<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>
例えば『[[源氏物語]]』の御修法(みしほ)の場面では[[芥子]](けし)の匂いが立つのであるが、それはもののけ祓いの特効薬としての芥子である<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>。当時から「もののけ」を排除するのには上記の鎮魂祭の手法では効果がないと考えられるようになっており、それに代わって[[密教]]による悪霊祓いの手法が登場し、「[[御修法]]」として完成することになった<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>。
 
仏教の影響の少ない[[奄美]]では[[アラセツ]]([[新節]])において浮遊霊への[[お供え]]をした。[[トカラ列島]]の七島正月の時の[[オヤダマ祭り]]でも同様のお供えをした<ref>九学会連合、日本の沿岸文化調査委員会『日本の沿岸文化』1989 p.226</ref>。
 
[[台湾]]で高山族が住む[[紅頭峨]]([[蘭嶼]])では浮遊霊の歓待が行われる<ref>九学会連合、日本の沿岸文化調査委員会『日本の沿岸文化』1989 p.226</ref>。自宅の屋根の上に、供物を入れたザルを置くのである<ref>九学会連合、日本の沿岸文化調査委員会『日本の沿岸文化』1989 p.226</ref>。
 
日本の子供たちには、昭和48年([[1973年]] )- 昭和51年([[1976年]])[[講談社]]の「[[週刊少年マガジン]]」に連載された[[つのだじろう]]の[[漫画]]『[[うしろの百太郎]]』で広く知られるようになった。
 
ただし作家の中山市朗はブログで、浮遊霊という言葉は[[中岡俊哉]]が昭和40年代に用い始めた造語でそれ以前にこのような言葉は存在しなかったという主旨のことを書き放っている<ref>{{Cite web|author=[[中山市朗]]|date=2009-03-18|url=http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/archives/51214365.html|title=ザ・ベストハウス123|work=[http://blog.livedoor.jp/kaidanyawa/ 中山市朗ブログ]|publisher=|accessdate=2010-02-21}}</ref>。
 
== 脚注 ==
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* [[地縛霊]]
* [[心霊写真]]
 
 
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