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==歴史==
古代の日本では魂はからだから簡単に離れてしまうことがあると考えられていた。古代の[[鎮魂祭]]についての注釈書には、[[鎮魂]]とは浮遊した霊を身体の中府に収めて鎮めることだ、という記述がある<ref>鎌田東二『宗教と霊性』1995、p.335</ref>。日本の宮廷儀礼では鎮魂祭が重視された<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』角川学芸出版、2008、p.92-94</ref>。また病から死への移行という側面に関しては、日本の古代から中世にかけては、天皇の病気は空中に'''浮遊する邪霊や怨霊'''が天皇の体内に侵入した結果生ずると考えられていた。こうした邪霊や怨霊を巧みに取り除くことができれば天皇は死をまぬがれ、再び生の世界つまり[[現世|この世]]へ復帰できるが、除去に失敗すると天皇の肉体は[[死体|亡骸]](むくろ)になってしまう、と考えられた<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>。そうした邪霊や怨霊がやがて「[[もののけ]]」として理解され、洗練されたり、また大衆化されたりした<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>
例えば『[[源氏物語]]』の御修法(みしほ)の場面では[[芥子]](けし)の匂いが立つのであるが、それはもののけ祓いの特効薬としての芥子である<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>。当時から「もののけ」を排除するのには上記の鎮魂祭の手法では効果がないと考えられるようになっており、それに代わって[[密教]]による悪霊祓いの手法が登場し、「[[御修法]]」として完成することになった<ref>山折哲雄『空海の企て: 密教儀礼と国のかたち 』p.92-94</ref>。