「神奈川県立小田原高等学校」の版間の差分

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== 概要 ==
旧制神奈川県第二中学校以来の伝統を持つ、神奈川県西部を代表する名門校・[[進学校]]である。[[2006年]]度入学者選抜からは後期学力検査の[[国語]]、[[数学]]、[[英語]]において[[独自入試|学校独自作成問題]]が導入されている。<!--時系列的に言ったら重点校指定の方が後でしょう。-->また[[2007年]]には、神奈川県教育委員会が県立高校の進学実績向上という目標を明確化するため「[[学力向上進学重点校]]」10校を指定し、小田原高校もそのうちの1校に選ばれた。
 
小田原駅北西の八幡山にあり、小田原駅西口(新幹線口)より徒歩約12分。バスでは小田原駅東口より[[箱根登山バス]][[小田原競輪場|競輪場]]経由「水之尾口」行又は「いこいの森」行で小田原高校前バス停で下車をする。ほとんどの生徒は長い階段(通称「百段坂」)を上って通学する。所在地一体は八幡山と呼ばれる場所で、中世には[[小田原城]]が存在した場所である。5代目新校舎建設の際、建築予定地から中世の堀跡など城の遺跡が発見されたため、建築が延期になった。一部市民団体などから校地の遺跡公園化を求める声も聞かれたが、現地での新校舎建築が決まった。校地の南側には、[[シラカシ]]、[[クスノキ]]等から成る数少ない残存[[照葉樹林]]が広がり、1971年3月30日に「神奈川県立小田原高等学校の樹叢(じゅそう)」として[[神奈川県指定文化財一覧|神奈川県の天然記念物]]に指定されている<ref>[http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/culture/natural/tenodako.html 小田原市「天然記念物・県立小田原高等学校の樹叢」]</ref>。
 
== 沿革 ==
[[ファイル:神奈川県立小田原高等学校2.jpg|Light|300px|thumb|「百段坂」とその上からの小田原市街の眺望]]
* [[1822年]] - 小田原藩が[[藩校]]“集成館”を創設。場所は現在の[[小田原市立三の丸小学校]](小田原市本町・小田原城の南側)校地。
* [[1900年]] - 集成館を前身に、“神奈川県第二中学校”が神奈川県内二番目の[[旧制中学校]]として設置認可。これをもって正式な創立年とする。
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* [[2004年]] - [[神奈川県立小田原城内高等学校]]と統合、単位制高等学校となる。
* [[2007年]] - 5代目となる新校舎落成。
 
[[ファイル:神奈川県立小田原高等学校2.jpg|Light|300px|thumb|「百段坂」とその上からの小田原市街の眺望]]
== 交通 ==
;鉄道
*[[東日本旅客鉄道|JR]][[小田原駅]]より徒歩約12分。
;バス
*小田原駅東口より[[箱根登山バス]][[小田原競輪場|競輪場]]経由「水之尾口」行又は「いこいの森」行で小田原高校前バス停下車。
 
== 主な関係者 ==