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===駐日代表就任以後===
[[陳水扁]]総統再選を受け、2004年7月5日、台北駐日経済文化代表処代表(駐日代表)に就任、約4年間務めた。在任中は、'''台湾人観光客の査証免除(ノービザ)の恒久化''''''運転免許証の日台相互承認'''を実現。日台関係を年間250万人が相互に行き来する関係にまで発展させた。
 
2008年5月、[[中国国民党|国民党]]の発足と同時に辞職届を提出したものの、[[馬英九]]総統が慰留。駐日代表ポストの交代が確実視される中、同年6月1日、日台関係60団体が「許代表夫妻を送る会」を都内で共同開催、[[安倍晋三]]前首相や歌手の[[ジュディ・オング]]、評論家の[[櫻井よし]]ら約800人が駆けつけた。
 
同年6月15日未明、[[尖閣諸島]]沖で航行中の台湾遊漁船が、海上保安庁巡視船と衝突・沈没する事件が発生、即日、[[中華民国外交部|外交部]]が許代表の召還を決定した。帰国直後の16日に[[中華民国立法院|立法院]]外交委員会で事件の経緯を報告する予定だったが、国民党立法委員に「代表のポストにしがみついている」「台奸(台湾の[[売国奴]])」などと罵ら非難されたため、急きょ記者会見を開き「'''士は殺されるべくも、辱められるべからず(士可殺不可辱)'''」などと強く抗議、立法院での説明を拒否するとともに辞意を表明。外交部は「公務員が首長の許可を得ずして職務を勝手に離れてはならない。これに違反した場合、事の軽重を見て処罰する」と強硬な声明を発表したものの、翌17日、[[馬英九]]総統が辞任を認めた。後任が決定するまで羅坤燦副代表が代表ポストを代行した。
 
離日直前の7月7日、[[産経新聞]]のインタビューで「帰国後は一市民として、(台北ではなく出身地の)台中や彰化で地域のさらなる民主化促進に貢献したい」と話した。現在は、台中市に居住、胡志強市長の招聘で台中市政顧問を務めている。