「ブネイ・メナシェ」の版間の差分

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[[1953年]]、部族の長がイスラエル帰還の夢を見たのをきっかけに、突如として[[ユダヤ教]]に回心。一度は部族ぐるみで徒歩による[[イスラエル]]移住を図るも、大自然に阻まれて挫折。しかしこれ以降、徐々にユダヤ教徒が増えていき、[[1972年]]までには数百人の部族民がユダヤ教の信仰に戻っていた。
 
イスラエルのユダヤ人団体がこれを知り、ブネイ・メナシェをイスラエルに移住させるべく尽力。この結果、[[1994年]]から[[2003年]]にかけて800人のブネイ・メナシェがイスラエルのユダヤ人入植地に移民した。{{要出典範囲|彼らの入植地は[[ガザ]]地区や[[ヨルダン川]]西岸地区など、特に争いの多い地域である。彼らがイスラエル入植を許されたのは、[[パレスチナ問題]]での領土争いを背景に、ガザ地区やヨルダン川西岸地区でのユダヤ人口を増やし、これらの地区におけるイスラエルの覇権を既成事実化したいというイスラエル政府の意向が関係していたともいわれる。|}}
 
[[2004年]]、[[セファルディム]]の主席[[ラビ]]である[[シュロモ・アマル]]から、正式にメナシェ族の末裔として認定を受ける。ただし彼らがメナシェ族の末裔であるとの[[人類学]]的な根拠は薄く、アマルの決定は民族的なものというよりもむしろ政治的なものだったといわれている。これ以降、ブネイ・メナシェは[[帰還法]]のもとに堂々とイスラエルに移住できるようになったが、彼らは永らくユダヤ教から離れていたため、イスラエル移住には完全な改宗を経ることという条件が付けられた。
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