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Infobox プロレスラー
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{{Infobox プロレスラー
'''京 愛子'''(きょう あいこ、[[1948年]] - )は、[[宮城県]][[栗原郡]]出身の元女子[[プロレスラー]]。本名・千葉 愛子。松永健司元全女副社長の妻の姪に当たる。[[全日本女子プロレス]]黎明期に活躍し、日本人初のWWWA世界王者でありWWWA22度の防衛記録を持つ。さらに同期の岡田京子とともに美人レスラーの先駆け的存在でもあり、[[マッハ文朱]]がデビューする前の全女の顔であった。
| 名前 = 京 愛子
| 画像 =
| リングネーム = 京 愛子
| 本名 = 千葉 愛子
| ニックネーム =
| 身長 =
| 体重 =
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1948||}}
| 死亡日 =
| 出身地 = [[宮城県]][[栗原郡]]
| 所属 = [[全日本女子プロレス]]
| スポーツ歴 =
| トレーナー =
| デビュー = 1967年7月1日
| 引退 =
}}
 
'''京 愛子'''(きょう あいこ、[[1948年]] - )は、[[宮城県]][[栗原郡]]出身の元女子[[プロレスラー]]。本名・千葉 愛子。松永健司元全女副社長の妻の姪に当たる。[[全日本女子プロレス]]黎明期に活躍し、日本人初のWWWA世界シングル王者でありWWWA2222度の防衛記録を持つ。さらに同期の岡田京子とともに美人レスラーの先駆け的存在でもあり、[[マッハ文朱]]がデビューする前の全女の顔であった。
 
== 経歴 ==
[[1965年]]、全日本女子プロ・レスリング協会に入門。
 
[[1967年]][[7月1日]]、[[日本女子プロレス]]でデビュー。
 
[[1968年]]、全日本女子プロレス旗揚げに参加。
 
[[1970年]][[10月15日]]、[[マリー・バグノン]]を倒し、第3代WWWA世界シングル王者となる。
 
その後、WWWA世界シングル王座を22度防衛。その間、[[ジャンボ宮本]]とのタッグで[[1971年]][[6月30日]]には初代WWWA世界タッグ王座にも君臨する。
 
日本人女子として初めて金網[[デスマッチ]]にも挑戦した。
 
[[1972年]][[3月9日]]、[[ジーン・アントン]]に敗れ王座陥落も、2度返り咲く。
 
同年7月1日、3度目の王座陥落。直後の7月26日にWWWA世界タッグ王座2度目の返り咲きも9月18日陥落。その後引退。
 
== 獲得タイトル ==
* [[WWWA世界シングル王座]]
* [[WWWA世界タッグ王座]]([[ジャンボ宮本]]とのタッグ)
* AGWAインターナショナル・タッグ選手権(岡田京子とのタッグ)
 
== 関連項目 ==
* [[プロレスラー一覧]]
 
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{{DEFAULTSORT:きよう あいこ}}
[[Category:日本の女子プロレスラー]]
[[Category:全日本女子プロレスに所属した女子プロレスラー]]
[[Category:宮城県出身の人物]]
[[Category:1948年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:宮城県出身の人物]]