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子供から見て母親の再婚相手は義父であり、父親の再婚相手は義母である。他の義親と区別する場合には'''継父'''(けいふ、ままちち)、'''継母'''(けいぼ、ままはは)という表現が使われる。自分より年少となる場合も稀にみられる。また、互いに重婚とならない限り実父が姑(配偶者の母)や養母と、実母が舅(配偶者の父)や養父と結婚することも可能で、その場合、配偶者の片親や養父母のどちらか片方が同時に継父母となる。また、父母の再婚相手(継父母)の親や祖父母の再婚相手は義理の祖父母にあたる。なお、再婚相手に既に(血の繋がりのない)子供がいる場合などは、'''継子'''(けいし、ままこ)または'''連れ子'''(つれこ)などと称される。
 
{{要出典範囲|再婚相手の子供とは血の繋がりがなく、結婚しなければ赤の他人でしかなくそれ以外の何物でもない。継父・継母による継子の虐待は多いとされる。これは『[[シンデレラ]]』や『[[白雪姫]]』など、いじめ役の継母の登場する童話をはじめ、小説やテレビ番組などの創作物の影響が強いとも言える。またそれらからの刷り込みにより、養父母が育児に行き詰まったときに「自分の本当の子供ではないのだから仕方ない」などの言い訳とされている節もある。同様に、親の再婚を知った友人が勝手に心配してくるなどと言った例も多い。また、特に継母の場合は「自分の胎(はら)を痛めて生んだ子ではない」ことが一層虐待の原因であるとも言われ、世間も「それじゃ仕方がない」と言った風潮まである。|date=2008年6月}}[[ウィリアム・ドナルド・ハミルトン]]の[[血縁選択説]]によれば、非血縁者間には利他的行動が生じにくく、実子が居れば継子に優先するのは当然のようにも思える。しかし、実子の有無に関わらず、血縁の認知が継父母・継子間の親子感情の惹起を阻む訳でもない。
 
史実でも[[春秋時代]]の[[晋 (春秋)|晋]]の[[文公 (晋)|文公]]のように継母に酷い目に遭わされた例が見られる一方、[[毛利元就]]のように自分の育ての親である継母を生涯にわたって敬愛し続けた実例も存在している。