「天谷宗一郎」の版間の差分

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[[2009年]]、[[4月3日]]の開幕戦で8番・[[右翼手]]で出場。4月は調子は上がらなかったものの、5月になると調子を上げ[[打率]].400を記録し、チーム打率が2割台前半に低迷する中で、3番打者として気を吐いていたが、[[5月13日]]の[[阪神タイガース]]戦でファールを打った際に右手有鉱骨を骨折し、長期離脱を余儀なくされた。しかし、驚異的な回復力を見せ、49日後には[[ウエスタンリーグ]]の実戦復帰を果たした。7月15日の[[横浜ベイスターズ]]戦で1軍復帰。骨折の影響で94試合の出場にとどまり、前年同様に規定打席には届かなかったものの、自身初の打率3割・5本塁打・41打点をマークした。
 
[[2010年]]はオープン戦終了時点で打率3位の.400に迫る程の好調ぶり396見せマークし、3番・[[中堅手]]に抜擢されるが、いざシーズンに入ると打率1割台後半から2割前後の大スランプを推移する深刻な打撃不振に陥り、打撃好調だった赤松真人にスタメンを奪われることが多くなった。後半戦からは多少調子持ち直したが、前半戦の不振が響き打率.245と大きく成績落と最終的にた。[[4月28日]]の横浜戦で、チームで2割半ばま[[正田耕三]]([[1989年]][[10月15日]]の中日戦1試合6盗塁を記録)以来21年ぶりとなる1試合4盗塁を記録し、[[8月27日]]の巨人戦では延長11復させてシーズに[[野間口貴彦]]から逆転3ラ本塁打終え放つなど、要所では印象的な活躍は見せものの、赤松と投手の左右で使い分けら併用されるなど完全にレギュラーに定着するには至らなかった。
 
== 人物 ==