「ボグド・ハーン政権」の版間の差分

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[[20世紀]]に入ると、[[欧米]][[列強]]の[[植民地主義]]に圧倒され、[[清|清朝]]の衰退が顕著になっていた。そんな中、かねてより清の統治に不満のあった[[外蒙古]]諸王公は清朝からの分離独立を模索していた。[[1911年]]10月、辛亥革命によって清の実効統治が急速に弱体化すると、外モンゴルのハルハ地方の諸王侯は[[ロシア帝国]]の力を頼って清からの独立を決意した。同年12月、モンゴル最高の活仏であるジェプツンダンバ・ホトクト8世を清朝皇帝に代わる君主としてボグド・ハーンに推戴する儀式が挙行された。こうして誕生したボグド・ハーン政権は、[[1913年]]には、同じく清朝からの独立運動を展開していた[[チベット]]との間で[[チベット・モンゴル相互承認条約|相互承認条約]]を締結した。ボグド・ハーン政権の統治機構は清朝のそれをほぼ承継し、速やかな政府構築を行なった。また、モンゴル統一のため[[内蒙古]]に軍を派遣し、一時はその大部分を制圧したが、政権の後ろ盾であるロシア帝国が清朝との関係悪化を懸念し、モンゴル軍の内蒙古からの撤退を要求したため、断る術の無いボグド・ハーン政権は国土統一を目前にして撤収を余儀無くされた。