「門戸開放通牒」の版間の差分

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こうした経緯で、イギリスの働きかけもあってアメリカの国務長官の[[ジョン・ヘイ]]が、[[1899年]]にイギリス、[[ドイツ]]、[[ロシア]]、[[日本]]、[[イタリア]]、[[フランス]]の6国へ通牒を送った。これが第一次の門戸開放通牒である。第一次の通牒は、列強による中国分割自体を否定したものではなく、経済的な機会均等を訴えたものであった。
 
しかし、翌[[1900年]]に中国で民衆による排外運動である[[義和団事件の乱]]が勃発する。列強がこれを鎮圧するために派兵を図る中、アメリカは第二次の通牒を発した。ここでは経済的な機会均等に加え、列強が政治的に中国を分割することに対しての反対(領土保全)が強調されている。中国へ市場進出を果たすためには、中国においてなんらかの一国が強い勢力を有することは望ましくない。そのため、この通牒を通じて中国大陸における[[勢力均衡]]を図る狙いもあった。
 
==関連項目==