「アントワーヌ・ラヴォアジエ」の版間の差分

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[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]支配時の1791年に国家財政委員に就任し、フランスの金融・徴税システムを改革しようとした。しかし、[[フランス革命]]勃発後の1793年に徴税吏であること、徴税請負人の娘と結婚していたことなどを理由に投獄された。徴税請負人は市民から正規の税+高額な手数料をとったため革命政府の標的とされた。ラヴォアジェ自身はそこまでひどい徴税はせず、むしろ税の負担を減らそうと努力していたが、1794年5月8日の革命裁判所の審判で死刑とされ、その日のうちに[[ギロチン]]で処刑された。
 
実際ラヴォアジエが投獄・処刑された理由については、かつて革命指導者の一人で化学者であった[[ジャン=ポール・マラー]]が、かつて学会に提出した論文審査を学会から依頼さ担当したラヴォアジエによって(ラヴォアジエによ行ったが、その論文がば「実験もせず憶測の内容であったため、ラヴォアジエは承認しなかっ」)却下され。そことの逆恨みで後過激な革命家に転じたマラーがラヴォアジエを処刑したと云われ、「彼よるも頭を切り落であるすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つのが現伝えらるには100年かかるだろう」と処刑の光景を見[[天文学]]者の[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]]も嘆たとされる。
 
[[天文学]]者の[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]]は、その死に接して「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」とその才能を惜しんだ。
 
なお、処刑後の人に意識があるのかを実験するため、周囲の人間に「斬首後、可能な限り瞬きを続ける」と宣言し、実際に瞬きを行なったという話があるが、ラヴォアジェの処刑は35分間で28人を処刑する流れ作業の途中で行われ、当時実際に死刑に立ち会った人の記述にそのような話はなく、[[ギロチン#斬首後に意識はあるか|ボーリュー医師]]の1905年の論文をもとに1990年代以降創られた[[都市伝説]]と考えられる。