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当時、元ザ・ラッツのドラマーであったジョン・ケンブリッジが、音楽プロデューサーの[[トニー・ヴィスコンティ]]を介して[[デヴィッド・ボウイ]]のバンドに参加することになり、そのジョン・ケンブリッジからの誘いでロンソンも参加する事になる。
ボウイの『[[世界を売った男]]』([[1971年]])に参加。その後自分のバンドで活動しようとするが、ボウイに引き留められ、『[[ハンキー・ドリー]]』(1971年)から『[[ピンナップス]]』([[1973年]])に至るまで、ボウイのレコーディングや[[ライブ]]をサポート。この頃のボウイのバック・バンドは、スパイダーズ・フロム・マースと呼ばれた。また、[[1972年]]には[[ルー・リード]]の作品『[[トランスフォーマー (アルバム)|トランスフォーマー]]』を、ボウイと共同プロデュース。
 
ボウイと袂を分かった後、ミックはスパイダーズ・フロム・マースのメンバーを従えて、初のソロ・アルバム『SLAUGHTER ON 10TH AVENUE』([[1974年]])を制作・発表。続いて[[モット・ザ・フープル]]に加入。『Saturday Gigs』をシングルで発表し、ヨーロッパツアーを行うが、ほどなくバンドの中心人物である[[イアン・ハンター]]ともどもモット・ザ・フープルを脱退。ミックはイアンのソロ・アルバム『IAN HUNTER』([[1975年]])にギターとプロデュースで参加し、それと並行して、自分のアルバム『PLAY DON'T WORRY』(1975年)を制作・発表。これは、ミック存命時にリリースされた最後のソロ・アルバムとなった。