「維新の三傑」の版間の差分

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== 概要 ==
木戸孝允の[[命日]]は[[1877年]]5月26日で、[[京都市|京都]]で[[病死|病没]]。西郷隆盛の命日は1877年9月24日で、[[鹿児島市|鹿児島]]で[[戦死|戦没]]。大久保利通の命日は[[1878年]]5月14日で、[[東京都|東京]]の[[紀尾井坂の変]]にて倒れた。[[明治]]10年前後に時期を同じくして死去している。
 
3人の死後間もない1878年11月には既に、大久保・木戸・西郷の[[伝記]]をまとめた岩村吉太郎編『皇国三傑伝』が刊行されている。1884年(明治17年)3月刊、山脇之人『維新元勲十傑論』には、「西郷隆盛君の如きは木戸、大久保の二君と相並びて一時は'''明治の三傑'''とも称せられ……」<ref>『維新元勲十傑論』、16頁</ref>の記載があり、1892年(明治25年)11月刊の内山正如編『維新元勲三傑詩文集』では西郷・木戸・大久保について「蓋し明治復古の鴻業偉蹟は首として三氏の忠誠に出つ故に世称して'''明治維新の三傑'''と云ふ」<ref>『維新元勲三傑詩文集』「凡例」1頁</ref>と解説している。