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[[Image:Plimpton_322.jpg|thumb|300px|right|プリンプトン322]]
'''プリンプトン322'''(''Plimpton 322'')とは[[バビロニア数学]]について記された[[粘土板]]のもっとも有名なもののひと1つである。呼び名の由来は[[コロンビア大学]]にあるG・A・プリンプトンの収集の粘土板の、第322番目のものであることからである。
およそ50万ものバビロニアの粘土板が19世紀初めから発掘されてきたが、そのうちの数千のものが数学の性質についてのものだった。この粘土板は[[紀元前1800年]]ごろに書かれたものとされ、4列15行の表にその時代の[[楔形文字]]で数字が記されている。
 
この粘土板は以前は主に[[ピタゴラスの定理#ピタゴラス数|ピタゴラス数]]の表として解釈されてきたが、[[アメリカ数学協会]](MAA)([[:en:Mathematical Association of America]])はこの解釈に異を唱え、新しい解釈を打ち立てた<ref>Robson, Eleanor. "Words and Pictures: New Light on Plimpton 322," in ''American Mathematical Monthly'', February 2002, 109, pp. 105–119.</ref>。この粘土板についての一般的な考察は、エレノア・ロブソン(2002)、ジョン・コンウェイとリチャード・ガイ(1996)を参照。ロブソン(2001)はこの粘土板の解釈について広く[[書誌学]]の観点からより詳細かつ専門的な議論をした。
 
==起源と日時==
プリンプトン322はところどころ所々欠損している[[粘土板]]であり、およそ幅13センチメートル、高さ9センチメートル、厚さ2センチメートルである。ニューヨークの出版業者ジョージ・A・プリンプトンが考古学商エドガー・J・バンクスから1922年ごろに購入した。そして1930年代中盤、彼のほかのコレクションと共に[[コロンビア大学]]に遺贈された。バンクスによると、その粘土板はテル・センケレ(イラク南部の都市、旧[[ラルサ]])から見かったという。<ref>Robson (2002), p. 109.</ref>
 
この粘土板が紀元前1800年ごろに書かれたとされているのは、楔形文字の書式を元に推定されたものである。ロブソン(2002)はこの書式は「4000から3500年前のイラク南部の文書に典型的に見られるもの」と書いている。特に、はっきりと日付が明記されているラルサ出土のほかの粘土板との類似性からも、プリンプトン322は紀元前1822年~1784年に書かれたと推定される。<ref>Robson (2002), p. 111.</ref>ロブソンはプリンプトン322が、数学的というよりもむしろ行政的な文章と同じ形式で書かれていることを指摘している。<ref>Robson (2002), in ''American Mathematical Monthly'', p. 110.</ref>
 
==書かれている数==
プリンプトン322の主な内容は4列15行にわたって記された数の表であるが、その数はバビロニアの[[六十60進法]]で記されている。第4列は単に1から15の行番号を示す。第2列と第3列は残存していて完全に読み取れる。しかし、端の第1列は欠損している。それを推測して補うのに矛盾しない2通りの手段があるが、それらは単にそれぞれの数の先頭に1を付け加えるかどうかの違いである。次に表に書いてある数字を示す。括弧内は補った1である。
<div align="center">
{| class="wikitable"
47行目:
</div>
 
これら四列の左に更にまだ欠けている列があると考えることもできる。これらの数の六十60進法から10進法への換算はさらに曖昧である。それはバビロニアの六十60進法の表記は各数が60の何乗を表す桁のものであるかを表すのに特化していなかったからである。
 
==解釈==
===直角三角形の辺===
各行において第2列の数字は[[直角三角形]]のもっとも短い辺の長さ''s''、第3列の数字は[[斜辺]]の長さ''d''であると解釈することができる。このとき第1列の数はその三角形の最も長い辺の長さを''l''と置いた時の分数<math>\scriptstyle \frac{s^2}{l^2}</math>もしくは<math>\scriptstyle \frac{d^2}{l^2}</math>の値となる。しかし学会ではこれらの数字がどのようにして生成されたかについて異論がある。
 
===ピタゴラス数===
1951年、オットー・E・ノイゲバウアー([[:en:Otto E. Neugebauer]])はこの表の数がピタゴラス数をなしていることを指摘し、[[数論]]の立場からの解釈を主張した。例えば第十一11行は短い辺が3/4で斜辺が5/4の三角形(つまり辺の比が3:4:5の直角三角形)を表していると解釈できる。また、[[互いに素]]な数''p'',''q''についてピタゴラス数は(''p<sup>2</sup>-q<sup>2</sup>, 2pq, p<sup>2</sup>+q<sup>2</sup>'')と表されることに基づくと、第十一行はこれに''p=1'',''q=1/2''と置いたものともいえる。ノイゲバウアーが主張するように、各行は正則数([[:en:regular number]]、60の累乗の約数)の組(''p'',''q'')から生成される。この''p''と''q''が正則であるという特質は分母が正則であるということを導き出し、そして第1列の六十60進法の分数の表記を完成させる。ノイゲバウアーの説明はコンウェイとガイ(1996)にも例として引用された1つである。しかし、ロブソンが指摘するように、ノイゲバウアーの理論はどのようにしてこの''p'',''q''が選ばれたのかを説明していないことである。たがいに素な正則数の組は60までには92組あるが、そのうち15組しか表に記載されていない。さらに、なぜこの順番で表に記されたか、第1列の数が何の目的で使われたかを説明していない。
 
===三角関数===
1995年、ジョイスは[[三角関数]]と関連付けて説明した。第1列の数はもっとも短い辺の対角の余弦または正接(数の先頭に1を補うかどうかにより決まる)の2乗であり、その角の大きさは各行間ではおよそ1度刻みで増加しているとする。しかし、ロブソンは言語学の立場からこの理論を「概念的で時代錯誤」と主張している。その理論が当時のバビロニアの数学の記録に存在しない、他の考えに基づくところが多いからである。
 
===アメリカ数学協会及びロブソンの解釈===
66行目:
<math>\scriptstyle x-\frac{1}{x}=C</math>
 
ここで、''v''<sub>1</sub>=''c''/2, ''v''<sub>2</sub>=''v''<sub>1</sub><sup>2</sup>, ''v''<sub>3</sub>=1+''v''<sub>2</sub>, ''v''<sub>4</sub>=''v''<sub>3</sub><sup>1/2</sup>とおく。そうすると、''x''=''v''<sub>4</sub>+''v''<sub>1</sub>, 1/''x''=''v''<sub>4</sub>-''v''<sub>1</sub>と表される。
 
これをもとに、プリンプトン322の列は次のような値として解釈される。
番号順の正則数の''x''と1/''x''について、第1列、第2列、第3列はそれぞれ''v''<sub>3</sub>、''v''<sub>1</sub>、''v''<sub>4</sub>となる。例えば、第十一11行目は''x''=2のときと表される。この解釈では、第1列の左側の欠けた部分の数も補完することができる。この解釈においては、4列のさらに左にあって欠けている列には正則数である''x''や1/''x''が番号順に現れる。
 
ロブソンはこの粘土板が当時の数学的な「方法、すなわち、逆数の組、幾何学的な図形の切り貼り、平方完成、正則な共通因数での除算といった、書記官の学校で学ぶ全ての単純なテクニック」を表していること、その作者が当時の「[[ラルサ]]の神殿や宮殿」でよく使われた文章の形式に精通しているように思われることを指摘している。<ref>Robson (2002), in ''American Mathematical Monthly'', pp. 117-118.</ref>従って、ロブソンは作者が生徒というよりもむしろ「プロの書記官の役人」で、「神殿管理者を経験した」「およそ六人の古代[[メソポタミア]]の教師」と面識のある人物であると主張している。<ref name="Robson118">Robson (2002), in ''American Mathematical Monthly'' , p. 118.</ref>