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{{戦車|
'''M6重戦車'''(えむ6じゅうせんしゃ)は、[[第二次世界大戦]]中に[[アメリカ合衆国]]が開発していた[[重戦車]]。試作のみで実戦投入はなされなかった。
|名称=M6重戦車
|画像=[[Image:Heavy-tank-OWI-4.jpg|250px]]
|説明=T1E2戦車の試作車輛。
|全長=7.47 [[メートル|m]](砲身含む)
|車体長=8.43 m (砲身を含む)
|全幅=3.12 m (装軌部分の装甲を含む)
|全高=2.38 m (対空機銃除く)
|重量=57.4 t
|懸架方式=水平渦巻きスプリング・ボギー式<br />(HVSS)
|整地時速度=35 km/h
|不整地時速度=
|行動距離=160 [[キロメートル|km]]
|主砲=76.2 mm M7(75発)、37㎜ M6(202発)
* |副武装:50口径3インチ戦車砲M7型×1門(75発)、[[M3=12.7 37mm砲|53.5口径37mm戦車砲M6型]]1門mm (202発)、[[ブローニングM2重機関銃|12.7mm重M2機関銃M2型]]2挺を車体に装備(6,900発)<br />7.62 mm [[ブローニングM1919重機関銃|7.62mmM1919機関銃]]2挺(5×2(5,500発)
|装甲=砲塔前面83mm、砲塔側・後面83mm<br />車体<br />前面83mm、側面上部44mm、下部70mm
* |エンジン:ライト名'''太字文'''=Wright G- 200<br />4ストローク星型<br />9気筒空冷ガソリン
|出力=825 馬力(2,300回転時)
|乗員=6名 (車長、砲手、操縦手、装填手、装填補助手)
|備考=燃料は1810リットルを携行
}}
'''M6重戦車'''(えむ6じゅうせんしゃ)は、[[第二次世界大戦]]中に[[アメリカ合衆国]]が開発していた[[重戦車]]。少数が試作されたのみで実戦投入はなされなかった。
 
== 歴史と概要 ==
第一次大戦と第二次大戦の戦間期のアメリカでは戦車開発用の予算が限定されており、軍部はヨーロッパとアジアにおける機甲部隊の実戦投入を追ってはいたものの、第二次世界大戦が勃発した時点で、アメリカ軍は少数の戦車しか装備していなかった。1939年から1940年にかけ、主にドイツ軍が行ってみせた機甲部隊の投入と成功は、いくつかのアメリカ軍の戦車開発計画を勢いづかせることとなった。重戦車計画もまたそうであった。アメリカ合衆国には、戦車の量産を考慮するにあたり、巨大な産業基盤と多数のエンジニアが存在したのである。
1940年より開発が開始された。当初のT1重戦車(Heavy Tank T1)と呼ばれた設計案では75mm砲2基と37mm砲と20mm機関砲、それに7.62mm機関銃を標準装備した[[多砲塔戦車]]であった。更に、装甲は最大でも75mm砲弾に耐えられるようにしていたという。
 
1940年5月20日、歩兵部隊指揮官の推挙に続き、[[アメリカ陸軍武器科]]は、50t重戦車の開発作業にとりかかった。まず最初に、[[多砲塔戦車]]が検討された。これは二基の主砲塔に低初速のT6 75mm砲を装備するもので、副砲塔一基には37mm砲を据え付け、同軸に7.62mm機銃を配した。さらにもう一基の副砲塔には20mm砲および7.62mm機銃が同軸装備された。4挺の7.62mm機銃が球形機銃架に装着された。このうち2挺は車体前面の傾斜装甲に、また2挺は車体の後部の角に装備された。この計画は1940年6月11日に承認を得、本車は重戦車T1の呼称を受けた。設計においては、1920年代から1930年代のヨーロッパを通じて開発された、イギリス陸軍のビッカーズ[[A1E1 インディペンデント重戦車]]、またはソビエトの[[T-35重戦車]]のような、多数の砲塔が装備された画期的な戦車の概念と類似する。このような「ランドドレッドノート(直訳するならば陸上弩級戦艦)」は、名称の由来たるこれら車輛の過度に巨大なサイズ、指揮官が搭乗員の各作業を適正に指揮することの困難、高い生産コストなどの不利があり、ヨーロッパでは設計思想そのものの放棄へと移行した。
他国の多砲塔戦車実績を鑑み、1940年10月までには、75mm砲1基を搭載する主砲塔1基案になり、1941年に試作車が完成した。1942年に少数が生産されたが、輸送の問題や主砲威力の不足により、実戦投入はなされなかった。
 
[[Image:Heavy-tank-OWI-3.jpg|thumb|left|M6の前面。初期のM3軽戦車が背景に見られる。]]
1944年には、改良型のM6A2E1構想も出たが、これも実現していない。
[[Image:Heavy-tank-OWI-2.jpg|thumb|left|側面図。]]
 
10月までにアメリカの開発者たちはヨーロッパの類似の代物の持ち主たちと同じ結論に達した。兵装は垂直安定式(スタビライザーによる制御)の3インチ(76.2mm)砲ひとつに換えられ、同軸に37mm砲を装備、これを3人乗りの一つの砲塔に収めた。砲塔は手動と電動で旋回するものであった。砲塔は車長用のキューポラを装備したが、これは[[M3中戦車|M3リー中戦車]]のものと同一である。追加の兵装として、副操縦手の担当する2挺の12.7mm機関銃が車体前面に固定装備された。また操縦手によって電気的に発砲可能な2挺の7.62mm機関銃が、前面装甲板に据え付けられた。さらに1挺の7.62mm機関銃が車長用キューポラに、砲塔の右側後部には装填手の担当する12.7mm機銃が回転機銃架へ装着された。搭乗員は、車長(砲塔左側)、砲手(砲塔右側)、装填手(砲塔)、操縦手(車体正面左)、副操縦手(車体正面右)と補助装填手(車体)から構成された。
== 規格 ==
 
* 全長:8.433m
主要な技術的課題のうちの1つは、このような重車輛のための駆動装置を開発することであった。オートモーティブ・エンジニアーズ協会が構成した委員会では、空冷式の星型ガソリンエンジンであるライトG-200を発動機に選定したが、しかし、動力の操向・変速に用い得る適切なトランスミッションが存在しなかった。トルクコンバーターまたは電磁式の変速装置が使用できるか、その可能性が検討された間、委員会ではハイドラマチック変速機を開発することを勧告した。
* 車体長:7.544m
 
* 全幅:3.112m
1941年から1942年に、電磁式変速装置を装備するもの一種、トルクコンバーター変速方式のもの二種、計三種類の試作型車輛が[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス|ボールドウィン・ロコモーティブ・ワークス]]によって製造された。試作型のうち、流体変速によるトランスミッション搭載車輛は完成しなかった。試作型各車も、車体の製造方法が異なっていた。1輌は車体を溶接で製造し、2輌は鋳造であった。1942年5月26日、トルクコンバーター変速方式の2輌が、M6重戦車およびM6A1として制式化された。電磁式変速装置を搭載したT1E1は、'''M6A2'''として制式化が求められたが、承認はなされることがなかった。それでもこの車輛の製造は主張された。アメリカ陸軍武器科は、115輌のT1E1をアメリカ陸軍向けに生産し、115輌のM6重戦車とM6A1を連合軍のために作るべきであると提案した。量産開始は1942年12月である。若干のマイナーな改良が生産車両に加えられた。キューポラはリングマウントのついた両開き式のハッチと交換され、回転銃架および車体左側に装備されていた機関銃は撤去された。
* 全高:3.226m
 
* 全備重量:57.38t
しかしM6重戦車の量産準備が完了する頃には、機甲部隊は計画に対する関心を失っていた。M6重戦車が中戦車を配備するよりも良い点とは、はるかにぶ厚い装甲とわずかに高威力の砲であったが、その防護能力はデザインの欠点によって一部相殺された。それは例えば非常に大きなシルエットである。さらに、厄介な内部構造のレイアウトと信頼性の問題があり、補給の問題も一部懸念された。1942年の終わりには、機甲部隊側は、新型のM4シャーマンで現在や近い将来の問題には十分対処できると確信していた。また一方、比較すればより信頼性があり、コストが安価で、輸送が非常に容易だった。
* 乗員:6名
 
* エンジン:ライトG-200 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン
M6重戦車の研究は即時停止されなかった。T7 90mm砲を装備したT1E1の試作車輛が試験を実施し、満足すべき砲兵装のプラットホームであることが判明した。しかし、貧弱な砲塔のレイアウトは再び問題となった。1944年8月、アメリカ陸軍武器科は、M6A2E1と呼称される77t級の戦車15輌を作るべく、T1E1の設計の流用を推奨した。この車輛はより重厚な装甲を持っており、[[T29重戦車]]ゆずりの、垂直厚みが最高7.5インチとなる車体前面装甲と砲塔を装備し、T5E1 105mm砲を搭載した。この提案はアイゼンハワー将軍によって却下された。1942年後半までに、主な開発作業は他の計画のものへ変更された。その一つはM26パーシングへと至る。
* 最大出力:900hp/2,300rpm
 
* 最大速度:35.41km/h
1944年12月14日、M6重戦車は旧式であることが宣告された。40輌のみが生産され、これらの車輛はアメリカ領内を出ることは決してなかった。何台かはプロパガンダのためアメリカ合衆国内を巡り、戦債集めの記念走行やそれに類する行事で、性能の展示(例えば自動車の蹂躙)を行った。最終的に、メリーランド州アバディーンに所在する[[アメリカ陸軍兵器博物館]]にて展示される1輌のT1E1を除き、全車が廃棄処分とされた。
* 航続距離:100km以上
 
* 武装:50口径3インチ戦車砲M7型×1門(75発)、[[M3 37mm砲|53.5口径37mm戦車砲M6型]]1門 (202発)、[[ブローニングM2重機関銃|12.7mm重機関銃M2型]]2挺(6,900発)、[[ブローニングM1919重機関銃|7.62mm機関銃]]2挺(5,500発)
いくつかのサスペンションの部品が、[[エクセルシアー重駆逐戦車]]の試作車両に使用された。
* 装甲厚:最大101.6mm
 
== 各型 ==
* T1:'''T1''':鋳造車体。ハイドラマチック式変速機。 構想のみ。
* T1E1:'''T1E1''':鋳造車体。電式変速機。非公式にM6A2とも呼称。220両製造。
* T1E2 / M6:鋳造車体。トルクコンバータ式変速機、8両製造。
* T1E3 / M6A1:圧延鋼板の溶接車体。トルクコンバータ式変速機、12両製造。
* T1E4:圧延鋼板の溶接車体。 ハイドラマチック式変速機。構想のみ。
* M6A2E1:M6A2E1:T1E1の改良型。新砲塔に105mm砲搭載予定、構想のみ。
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Image:M6 heavy tank TM9-2800 p120.jpg|M6重戦車。
Image:M6A1 heavy tank TM9-2800 p122.jpg|M6A1。圧延鋼板製の溶接車体に鋳造砲塔(M6またはT1E1のもの)を搭載している。
Image:T1E1 heavy tank TM9-2800 p124.jpg|T1E1。
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== 脚注および外部リンク ==
== 関連項目 ==
{{commons|M6 Heavy tank}}
*R.P. Hunnicutt - ''Firepower: A History of the American Heavy Tank'', 1988 Presidio Press, ISBN 0-89141-304-9.
*[http://144.99.215.51/Data/tmp/objYAsFmXks3WgmXh9DXXTYBjpHeRrj0haAjKjNNoay0Y1iso5JszHagfShMQKsVJj4XREOI5sQL_qsXStG2CUErY_v1UHPLw.pdf M6 / M6A1 technical manual]
*[http://afvdb.50megs.com/usa/heavytankm6.html AFV database]
*[http://www.wwiivehicles.com/usa/tanks_heavy/m6_heavy.html WWII vehicles]
*[http://ww2photo.mimerswell.com/tanks/usa/heav/m6/m6.htm M6 at ww2photo.mimerswell.com]
*[http://director.io/tanquesyblindados/index.htm Historia del carro de combate]
 
== 関連項目 ==
* [[M26パーシング]]
* [[M6A1重戦車]]
* [[四式中戦車]]
* [[TOG 2重戦車]]
 
{{第二次世界大戦のアメリカの装甲戦闘車両}}