「嶋重宣」の版間の差分

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3年時には小野とともに高校生として史上初めて日本代表に選出され、キューバ戦に登板。小野は3番[[オマール・リナレス]]から、嶋は4番[[オレステス・キンデラン]]から三振を奪った。またやはり同学年で[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高]]の[[金村曉]](現[[阪神タイガース|阪神]])は同県のライバルだった。
 
2年冬には盲腸のため手術を受けるが、このときの執刀医が「こんな芸術的な腹筋は初めて見た。」と言ったほどの筋肉だったといわれている。
 
[[1994年]][[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]2位で[[投手]]として、[[広島東洋カープ]]に入団。獲得に当たった[[苑田聡彦]][[スカウト]]は投手としての成功を信じており、嶋に対してコーチの前でバットを振らないよう念を押している。これは当時から打力の高さも認められるところであり、打者転向を避けて投手として勝負するためだった。