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江戸の町々には木戸が設けられており、夜は閉じられることになっていた<ref>江戸の各町は通りをはさんで両側が同じ町とされ、木戸は町の両端に設置された。</ref>。その木戸にはそれぞれ「番太郎」または「[[番太]]」と呼ばれる木戸番が2人いた。彼らは大抵が老人で、番小屋に居住していた。
 
木戸番は夜の四ツ時(午後10時頃)に木戸を閉めた。これは、盗賊や不審者の通行・逃走を防ぐためで、夜四ツ時以降、用事のある者は木戸番に改められた上で、木戸の左右にある潜り戸から通る決まりとなっていた。また、その際には必ず拍子木を打ち、その音が次の木戸番への「通行人がいる」という通達となった。これを「'''送り拍子木'''」と呼んだ。拍子木は通行する人数分だけ打ち鳴らし、拍子木の音が聞こえたにも関わらず人が来ないような時は、人を出して町内を改めることになっていた。ただし、医師や産婆など、人の命に関わる急用のある者はそのまま通過できた。
 
盗賊や狼藉者が現れ、そのための捕物、取鎮め等の場合は、時刻に関わらず木戸を閉め、人の往来を止めた。また、物騒な時は大木戸を閉じ、小木戸を開いて用心をした。[[火の見櫓]](梯子櫓)は木戸の側にあるため、火事があった時には[[半鐘]]を打つ役割もあり、夜毎に拍子木を打って夜警もした。それで、木戸番屋を「火の番屋」とも呼んだ。
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== 参考文献 ==
*『江戸の御触書 生類憐みの令から人相書まで』 [[楠木誠一郎]]著 [[グラフ社]] ISBN 4-7662-1161-0
*『江戸お留守居役日記 寛永期の萩藩邸町奉行』 [[山本博文著南和男]] [[読売新聞社吉川弘文館]] ISBN 4-643642-9106005593-72
*『江戸お留守居役の日記 寛永期の萩藩邸』 [[山本博文]]著 [[読売新聞社]] ISBN 4-643-91060-7
*『江戸町奉行』 [[横倉辰次]]著 雄山閣出版 ISBN 4-639-01805-3
*『江戸の町役人』 [[吉原健一郎]]著 吉川弘文館 ISBN 978-4-642-06306-7