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== 霊峰富士 ==
[[ファイル:FujiSunriseKawaguchiko2025WP.jpg|thumb|350px|神体山である[[霊峰]][[富士]]]]
古くは、『[[常陸国風土記]]』に富士山の神と[[筑波山]]の神の逸話が記されている。[[親神]]が富士山の神のもとを訪れ、宿を乞うたが、富士山の神は物忌み中だと言う理由で宿泊を拒否した。親神は次に筑波山の神のもとへ行き、同様に宿を乞うたところ、今度は親神は歓迎された。そのため、筑波山には人々が集まるようになり、反対に富士山には絶えず雪が積もり人々が来なくなったという。
 
『[[本朝世紀]]』によると[[1149年]]([[久安]]5年)に末代(まつだい、[[富士上人]])が山頂に一切経を埋納したと伝えられており、現在も富士山頂出土と伝えられる[[埋納経]]が浅間大社に伝わっている。[[平安時代]]の文学の『[[更級日記]]』には、富士山の神が、[[朝廷]]の次の年の除目(人事)を決めると当時の一部の人々には思われていた記録がある。富士山の8合目より上の部分は、登山道、富士山測候所を除き、浅間大社の[[境内]]となっている。但し、[[静岡県]]、[[山梨県]]の県境が未確定のため、土地登記はしていない
 
[[平安時代]]の文学の『[[更級日記]]』には、富士山の神が、[[朝廷]]の次の年の除目(人事)を決めると当時の一部の人々には思われていた記録がある。
 
富士山の8合目より上の部分は、登山道、富士山測候所を除き、浅間大社の[[境内]]となっている。但し、[[静岡県]]、[[山梨県]]の県境が未確定のため、土地登記はしていない。
 
=== 富士山本宮浅間大社 ===
[[File:SengenTaisha Honden.jpg|thumb|250px|right| 徳川家康造営 [[浅間造]]の建築(国重文)]]
富士山頂には[[富士山本宮浅間大社]]の奥宮があり、富士山の神と[[コノハナノサクヤビメ]]を祭る。コノハナノサクヤビメは「[[火の神]]」とされることがある。しかし、富士山本宮浅間大社の社伝では火を鎮める「[[水の神]]」とされている。富士山の神が木花開耶姫命とされるようになったかは時期・由来とも明らかではない。
 
浅間大社は[[浅間造]]という特殊な[[神社建築]]からなり、富士山の神様にお供え物をするという意味で富士山が真正面にみえる位置まで高くしたと言われる。<ref>{{PDFlink|[http://www.fsifee.u-gakugei.ac.jp/gp/pdf/H19/katsudo/lecture/富士山ツアー報告/渡辺新氏講演記録(最終版).pdf]}} - 講演「浅間大社と富士宮の歴史」富士宮まちづくり講演会にて</ref>
 
=== 富士講・富士塚 ===