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彼の著作は主に写本で伝わり、現在までに確認されているものは50点近くにのぼる<ref>鳥井裕美子「志筑忠雄の生涯と業績 - 今なぜ志筑忠雄なのか?」、および大島明秀『「鎖国」という言説 - ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史 - 』、p. 68 - 69、表3参照。</ref>。それらの多くは、いつ成立したのか、いつ写されたのかが不明のものが多い。著作の半分近くは西洋天文・物理学関係の蘭書からの翻訳で、次に多いのがオランダ語・文法に関するもので約3割を占める。前二者に比べると数は多くないが、地理、海外事情に関する翻訳も認められる。その訳述の内容と豊富さから西洋科学に対する志筑の熱意が感じとられるが、一方で[[エンゲルベルト・ケンペル]]『[[日本誌]]』のオランダ語第二版(1733)の巻末附録の最終章を訳出した写本「[[鎖国論]]」(1801)に志筑が付した注釈には排外的な側面も見られ、矛盾葛藤する両面を見せている。
 
ただし、現在までに発掘されている史料が乏しいことから、志筑忠雄についてこれ以上追究することは難しい状況にある<ref>ここの「概要」の記述全て大島明秀『「鎖国」という言説 - ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史 - 』に拠って記された。</ref>。
 
== 主な訳著書 ==