「藤原兼子」の版間の差分

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== 生涯 ==
父範兼は[[永万]]元年([[11851165年]])に死去し、兼子ら子供達は幼くして残されたため、叔父範季に養育される。一門は後鳥羽天皇と関係が深く、兼子も乳母として仕えた。無名の女性であったが、後鳥羽天皇の信任が厚く、その成長と共に重用され、[[正治]]元年([[1199年]])、45歳で[[典侍]]となり、政治の表舞台に現れるようになる。独身であった兼子はこの頃に[[権中納言]][[藤原宗頼]]と結婚している。
 
姉範子の夫である[[源通親]]は後鳥羽天皇の外戚として権勢を振るった。弟の[[藤原範光|範光]]は低い官位ながら後鳥羽天皇の近習として重用され、その権勢は通親と並び称されるほどであった。通親が擁する土御門天皇より、守成親王(のちの順徳天皇)を後鳥羽上皇が寵愛した事から、順徳天皇を後見する兼子・兼光姉弟と通親の間で対立も起こっている。