「カルロ・キティ」の版間の差分

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[[1984年]]にはキティは新たな会社[[モトーリ・モデルニ]]の設立のためにアウトデルタを去り、フォーミュラ1用のエンジンの製造に集中することとなった。当初はV6[[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンを製造し、[[1985年]]から参戦したイタリアのチームの[[ミナルディ]]が使用した。
 
フォーミュラ1にはミナルディとともに[[1987年]]まで参戦し、その後は[[グループC]](C2)マシンに搭載され、[[スポーツカー世界選手権|世界スポーツプロトタイプカー耐久選手権]](WSPC)に参戦した。

フォーミュラ1でターボの使用が禁止されるとあらたにフラット12気筒3.5lエンジンを設計した。このエンジンは1990年シーズンに[[富士重工業|スバル]]の[[バッジ]]をつけられ[[コローニ]]によって使用されたが、重量がかさみまったくの失敗であった。その結果コローニはこのエンジンの使用をシーズン途中で止め、[[コスワース]]に変更された。
 
===死去とその後===
キティはその後もエンジニアとして活躍し、複数のプロジェクトに参画たほか執筆活動も行ったが、1994年に亡くなった。
 
キティの死後5年が経った1999年、[[スウェーデン]]の[[スーパーカー]]メーカーである[[ケーニッグゼグ]]が、キティが残したF1向け4.0L[[水平対向12気筒]]エンジンの[[青図]]と[[工作機械]]、及び[[パテント]]をキティの遺族より買い取り、このエンジンを組み立てて自社のスーパーカーである[[ケーニグセグ・CC]]のスペシャルバージョン「B12S」に搭載した。これがキティが設計したエンジンが搭載された最後の車両となった<ref name="drive.com.au">{{Cite web|url=http://www.drive.com.au/Editorial/ArticleDetail.aspx?ArticleID=1850&vf=1|title=Swedish massage at 400km/h|accessdate=2008-02-09|work=drive.com.au}}</ref><ref name="autoweek.nl">{{Cite web|url=http://www.autoweek.nl/nieuws.php?id=graadmeter.php?MODE=bekijken&id=288&cache=no|title=Koenigsegg CC|accessdate=2007-10-09|work=autoweek.nl}} {{Nl icon}}</ref>
 
== 外部リンク ==