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{{otheruseslistotheruses2|[[フランス]]の立法議会|ネパールその他立法議会|立法議会 (ネパール)|トンガの立法議会|立法議会 (トンガ)}}
[[File:AcceptanceFrenchConstitution1791.jpg|thumb|240px|[[1791年憲法]]承認の寓意画]]
'''立法議会'''(りっぽうぎかい, {{lang-fr-short|Assemblée nationale législative}}, {{lang-en-short|Legislative Assembly}})は、[[フランス革命]]期の[[1791年]][[10月1日]]から[[1792年]][[9月5日]]まであった[[フランス王国]]の[[立法府]]である。
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[[1789年]][[8月26日]]の[[人間と市民の権利の宣言|フランス人権宣言]]の原理は、その後の革命の急展開により修正を迫られた。[[平等主義]]の萌芽が慎重に取り除かれた[[1791年憲法]]では、人権宣言は冒頭に掲げられてはいるが、言論や身分的、あるいは経済的な自由の保証に留まって、[[ブルジョワジー]]の優位を確定するような方向で、議会や選挙制度にも制限が設けられた。同法においては、[[市民権]]は全フランス人が持つわけではなかった。[[参政権]]は「大きな社会的企業の株主たる」<ref name="yes">{{Harvnb|ソブール|小場瀬卓三|1953年|loc=''上 p.133''}}</ref>能動的市民(男性)に限定された。受動的市民は「公権の形成に積極的に参加する」<ref name="yes"></ref>権利を持たないとされ、300万人とも言われる無産市民は[[選挙権]]・[[被選挙権]]を持たず、政治から排除された。土地改革も棚上げ状態で、2000万ともいわれる農民は最初から無視されていた。さらに[[間接民主制|代議制]]は二重の[[間接選挙|間接選挙制]]で、[[有権者]]が[[議員]]を選ぶ[[選挙人]]を選ぶという方式であり、選挙人となるにはさらに厳しい財産資格が設定されていた。このため当時のフランスの有権者は約430万人と人口の16.5%ほどとなり、選挙人に至っては50万人程度と推定され、それは人口の1.9%ほどに過ぎなかった<ref>人口比は追加したが、当時のフランスの人口を2600万とした大雑把な概算。{{Harvnb|河野健二1989年|loc=''p.159''}}</ref>。よって実際には、[[アンシャン・レジーム]]の頃の貴族や僧侶といった特権身分が独占していた政治参加の権利が、そのままブルジョワジーに入れ替わっただけでなく、身分制議会のときよりも'''有権者の数が減った'''という点においては[[民主主義]]の後退で、事実上、上流'''ブルジョワの政治独占'''を意味した<ref>しかしフイヤン派の分離に見られるように、そのブルジョワジーも立法議会では分裂していて、有効な立法活動や政権運営ができなかった。内閣はフイヤン派からジロンド派、さらにフイヤン派に戻るが、結局は総辞職に至るわけである</ref>。「旧体制の廃墟の上に[[自由主義]]原理を打ち立てた」と表現されるこの体制を、'''91年体制'''と呼ぶが、パリの[[サン・キュロット]]にとっては大いに不満の残る制度だった。
 
[[1791年]][[9月30日]]、[[憲法制定国民議会|立憲議会]]が目的を達して解散した時、議員[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]の提案により、法を作った者がその法の恩恵に預かるのはいかがなものかということで、立憲議員であった者は新議会にはなれないように決議されたが、結果的に[[10月1日]]に集まった立法議員はほぼすべてが新人議員という'''経験に乏しい議会'''となった。「国民議会」は継続されたが、議員を総入れ替えしたわけである。しかし未熟な政治は、いたずらに対立するばかりで、無計画の[[フランス革命戦争|戦争]]を起こしたり、[[党派主義]]による政治の停滞を招き、従来の財政再建といった宿題を解決できぬまま、戦況の悪化や、[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の[[拒否権]]乱発の前にさじを投げ、崩壊するに至った。空の国庫、暴落する為替通貨、[[アッシニア]]は紙同然となり、規律のない陸軍、士官のいない海軍、国内外の混乱と混沌が後には残された。これらが立法議会が1年も続かずに短命に終わった原因である。
 
[[1792年]]、[[8月10日事件]]で起こったことの背景には、共和派が{{ルビ|[[パリ・コミューン (1792年)|自治市会]]|パリ・コミューン}}のような[[直接民主制]]をベースにした民衆の直接行動を原動力としたことにあり、フランス革命の主体は、ブルジョワジーからサン・キュロット(別の言い方をすれば[[プロレタリアート]])に決定的に移っていった。つまりは事件は、立法議会で参政権がないとされた彼らが、王政のみならず議会も転覆させた第二の革命という性格があったということで、以後の革命の急進化は必然だったと言える。
 
他方、立法議会では、現在も使われる[[右翼]]や[[左翼]]という派閥[[イデオロギー]]の表現も登場した。議長席からみて右側が[[王党派]]や[[立憲君主派]]、つまり[[フイヤン派]]が議席を占め、左側が共和派である[[ジャコバン派]]([[ジロンド派]]を含む)が議席を占めて、討論をしたからである。ちなみに立法議会では、フイヤン派の方がジャコバン派よりも数が多かったが、両派閥とも最多派閥ではなく、中立派と呼ばれる態度不鮮明の議員が最も数が多かった。[[政党政治]]ではなく党が存在しなかったので、議員は個々人の政治信条に従って行動したが、全員が国王に忠誠を誓った身であり、立法議会は君主国家の議会であって、共和派は最後まで少数の急進であっに限られた。
 
== 特徴 ==
==== 権力 ====
[[File:Salle du Manège 1.jpg|thumb|議場は引き続き屋内馬術練習場<ref>[[テュイルリー宮殿]]の「調教の間([[:fr:Salle du Manège|Salle du Manège]])」。ジャコバン・クラブの通り向かいにあった。なお議場の変更も議会の権限であった</ref>]]
* [[公民]]は、国民と憲法と国王に忠実であることを誓う義務がある(第2編第5条)
* '''[[国民主権]]''': 主権は国民に属する(第3編第1条)
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==== 議会制度 ====
* '''[[一院制]]'''議会:議員総数は'''745名'''
* 議会は'''常設'''で、解散できず、会期は2年間。5月の第1月曜日に議会自らによって召集される<ref>この条項は施行する機会がなく、事実上は空文となった</ref>
* 議員は開催にあたって必ず「自由に生きるか、さもなくば死す」との宣誓を行う
* 議員は2年ごとに選挙を行って改選される('''議員の任期は2年'''<ref>ただし1年も持たずに崩壊したため、任期を全うすることなく、同法による選挙も一度きりに終わった</ref>)
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* 国王はいかなる立法の権限も持たない(第3編第4章第1節)
* 国王(および大臣<ref>このフランスにおける内閣・大臣は省庁官吏を統率する行政の長に過ぎず、議会運営には全く関与できないが、立法府からは問責決議やその他の圧力をかけられる</ref>)には議会を解散する権限はない(第3編第5条)
* 議会は内閣閣僚を監視する役割を持ち、大臣が憲法を犯した場合には国家高等法院に起訴することができた
* 議員には不逮捕特権はないが、起訴手続きを進めるには立法府の同意が必要(第3編第5節第8条)
 
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* '''[[制限選挙]]''':有権者は、能動的市民と定義され、それは'''不動産を所有'''してフランスに居住する'''フランス人'''で、少なくとも3労働日<ref>労働日数分の労働対価は[[時価]]であるが、1791年の経済水準で1マルク銀貨(為替下落のため50フラン相当)ほど</ref>に値する[[租税|直接税]]を払った'''満25歳以上'''の'''男性'''に限られる。また奉公人や召使いなど被雇用者は富裕者でも資格はない(第3編第2節第2条)
:('''財産資格あり'''、女子供、未帰化の外国人、無産市民、賃金労働者には選挙権がない)
* '''[[間接選挙]]''':有権者は所定の人数の'''選挙人'''を選ぶ。選挙人は、能動的市民であり、かつ人口6,000人以上の都会では200労働日に等しい所得か財産所有、それ以外の田舎では150労働日に等しい所得か財産所有あるいは住居の賃貸収入、または400労働日に相当する小作地の折半小作人または小作人<ref>しばしば誤解されるが、大土地所有地主が多かった西ヨーロッパでは、小作人は貧農を必ずしも意味せず、地主の土地管理人でもあった大規模耕小作人中には、生産物価格の高騰によって暴利を得て富農となった者が少なくなかった。彼らは後の封建的特権の無償廃止で、耕作地を手に入れ、土地ブルジョワとして成長する</ref>であることを、納税台帳で事前に認められる必要がある(第3編第2節第7条)
:(事実上、選挙人は上流ブルジョワと地主らに限定され、彼らが議員を選ぶことになる)
* 選ばれた選挙人は{{ルビ|小郡|カントン}}ごとの'''選挙人会'''に集まって選挙し、その県の能動的市民(選挙人自身も含む)の中から所定の人数の'''議員'''と補欠候補を選ぶ(第3編第3節第1〜3条)